編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

女子大生が大仏次郎という固有名詞を語っているだけで胸熱

30年前に非売品として少部数製作された
Album Jiro Osaragi
って写真集を持っている程度()には
筋金入りの大仏次郎ファンの私が




ってツイートしたのは事実ですけど
感謝の念を抱いているのは本当です。

ま、とはいうものの

続きを読む

市議会でアツく語られる物故作家■木山捷平

木山捷平短編小説賞(第9回)が決まった、というニュースが届いたので
(=Googleアラートで「木山捷平」登録してる奴)
賞主催者、笠岡市ホームページを見にいったんですが





たっぷり2時間強、熱中してしまいました笠岡市議会会議録

以下、全国100人のファン(同志よ!)にお贈りする
笠岡市議会という公的な場所で
とくにファンというわけではない(と思われる)ひとたちに
町おこし素材のひとつとして語られる、
ぼくたちの好きなマイナー・ポエト、
木山捷平ものがたり。

……言っとくけど、長いです。

続きを読む

風の谷のミノネズミと漱石「夢十夜」

ナウシカがテレビで放映されるたび、
無駄に思い出す自分に


さすがに嫌気がさしてきましたですじゃ。
その思いこみを供養するためのエントリーですじゃ。

で、貼れそうな画像はないんか。
と探すなかで(いや、なかったんですけどね)
ミノネズミって名前と
ヘビケラの、ほほー、あいつの幼生。
へー。
などということを、いまさら知った私ですが
ほら、腐海に迷い込んだアスベルが襲われるシーンに出て来る、
大群のアレ。アレがね、
漱石「夢十夜」の第十夜のシーンにインスパイアされてるよね。
ってかれこれ30年弱ずっと言ってるんですよ私。

続きを読む

ホッテントリ後に何を書けばいいのか問題を初心者が考えてもムダだった件

この時代小説がすごい! 文庫書き下ろし版」に寄稿している友人と
さいきん何か面白い本、読んだ? って話をしていたとき
(時代小説縛り)

  私「都筑道夫の『女泣川ものがたり(全) (光文社時代小説文庫)』よかったです」
  友「ああ、もうあの手の作品を書ける人いないかもね」
  私「時代モノの基礎教養の問題って意味で?」
  友「あと、それをひけらかさないストイシズムとか」

そういえば言及するのを忘れてた。
なにしろ3ヵ月前に読んだ本だから。
といま思い出したのが
高城高の「函館水上警察」シリーズ2冊目、
「冬に散る華」という連作集です。

何に驚いたかって

・一定数の読者が存在する、警察ジャンルで
・明治維新直後の函館を舞台にする、ユニークな設定
・サーベルの腕前に秀でた留学経験者、というキャラの立った主人公

続けて書いていけば
作者の看板になる要素をふんだんに持っている、
そんな作品を
あっさりこの2巻目で終わらせてしまっていたこと。
……もったいなくね?

シリーズものといえば最低でも5冊ぐらいは続刊あり、
が昨今の常識だろ。とハナから決めてかかって
収録されている5編の5番目の話を読み進めていた私が
話のなりゆきに
「え? え?」
と、ずいぶんピュアなリアクションをしてしまったのは
もちろん「昨今のシリーズもの」に毒されているから
ではあるのでしょう。

あるのでしょう・けれど
そもそも作家をして人気シリーズを続けさせる最大の要因が
「商業的な要請」だとしても
「読者がそれを望んでいるから」思わず応えてしまう、
というサービス精神の発露も
決して馬鹿にならない要因だと思うので

その意味で、高城高(78)という作家の
ハードボイルド精神を俺は甘く見積もりすぎていた。
完敗だ。
……と、読了後にエラく打ちひしがれた記憶が
強く残っているのでした。

って何の話かというと
たまたま書いたブログエントリが
たまたま注目を集めた場合
ひとはどういう行動に出るのか。
俺サンプルで心の動きを追ってみたけど
結論からいえば
「その数日間の話を書く」のがいちばん自然だと思った
ので書いてみるよ。
って話でござる ←ここまで前置き ←長いわ!

続きを読む

レイナ・テルゲマイヤー作「9歳のアメリカ人少女がはじめて『はだしのゲン』を読んだとき」

はだしのゲン」が各国語版に訳されていることは知っていても
実際にどういう読まれ方をしているか、は
このグラフィック・アーチストのサイトを見るまで
イメージがわきませんでした。

2009年の、「Beginnings」と題された作品は
彼女が9歳だったころ、
父親のオススメで読んだのがたまたま……
という、わずか3ページの短編です。
作者の了解をいただいたので日本語訳版を掲載します。

f:id:lafs:20130817145254j:plain
f:id:lafs:20130818003636j:plain
f:id:lafs:20130818005417j:plain
  © Raina Telgemeier, 2009

等身大の、淡々とした、あくまでも私的な
エピソード。といえばそれまでですけど、
微熱を覆うひんやりした夜景のコマとか
個人的には好きですね。

ちなみに、日本語に訳していいかしら?
いま日本ではこんなことになっていて。
というメールを送ったら

中沢先生の作品が子どもには残酷すぎるとされた、という話は残念です。もちろん「残酷」なんですが、私も、残酷な真実を否定することが何かを解決するとは思えません。
これまでに産み出された芸術のなかでも最も重要な作品のひとつ、と私が考えているまさにその作品について、多くのひとにシェアできる機会はうれしいです。

ってお返事をもらいました。

いい人や。

Drama

Drama


Smile

Smile

エンタメ・ノンフという語感に覚える違和感の正体を追求したい(DPZ風に

いまさら。ではあるんですけど

ノンフィクション苦境 経費かかるが売れず - 山田優 - 本のニュース | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

という記事を眺めていたら

 そんな状況を打破しようと、ジャンルや媒体を超えた模索が続く。
 ノンフィクション作家は総合誌や週刊誌以外の発表の場を探している。高野秀行さん(46)の主戦場は、文芸誌。「すばる」や「小説現代」などに連載を持つ。「文芸誌で書くからには、テーマ性だけではなく、文章の面白さで読ませる『エンタメとしても楽しめるノンフィクション』を目指したい」

だけあって
絶対に高野秀行が口にしたであろう、
エンタメ・ノンフ
というタームを意図的に使っていない様子に
勇気をもらったんです。
いいぞ、山田優
小栗旬の嫁かと間違われるから
名前変えたほうがいい、
とか思ってスマンかった←

続きを読む

(ネタバレ無し)宮部みゆき「ステップファザー・ステップ」原作続編レビュー(愛読者バージョン)

某「おい、こいつ息をしてないぞ」なSNS
宮部せんせコミュを久しぶりに覗いたら
ちらっと話題にあがっていたので
  初期の名作「ステップファザー・ステップ」に
  続編が存在して
  かつ、せんせ自身が本にまとめることはしないと言っている
  ということまでは知っていたものの
  内容までは一切知らなかったので
  愛読者歴15年(=そこまで古くない
  としては
思い立ったが吉日、と
国会図書館に掲載誌の遠隔複写申請をして
読んでみました。

なお、本題からは外れますが
国会図書館まで遠征する交通費を考えると
・複写実費(今回1,272円)
以外に必要な
・発送事務手数料(固定:150円)
・送料実費(今回367円)
をあわせても
この遠隔複写サービスってお得。
ということに
初めて利用してみて、気付きました。

なにしろ資料検索から請求、
そこからの複写請求、完了までの
待ち時間を考えると
  せっかく来たんだから、と
  いろいろよそでは閲覧できない資料まで
  目を通しておこう、という気分も働くし
一日仕事になるわけで
いいですね、真面目な話。

さて、そこで
作者が単行本化することはない、と言明している
ステップファザー・ステップ」続編
5つの短編です。

続きを読む

本屋大賞ヲチヤーとしては最新2013年についても何か言うべきだろ(震え声)

自分の中で、言うべき「何か」が
熟成されるのを待っていたけど
特記事項ナシという感じでした、
というエントリでございますんで
そこのところを斟酌いただきまして
どうかひとつ。

なにしろ、です。

「炎さんがお怒りです」という光景も
(実は)風物詩になりつつありますし

受賞した流行作家氏のかつての発言を蒸し返すのも
せつこ
それ、本屋大賞についてやない、
受賞作家についてやがな。

というようなことを
考えていくと、淡々と
「やー今年も盛況でよろしゅうござんした」
ぐらいしか
言うことが残らなかったんですよ。

なるほど、だから人は
つい炎上を見越した記事を書いちゃうのか、
と某新聞の心理を追認したり。

で、以下は文字通りの蛇足。

続きを読む

北上次郎「活字競馬」雑感

■発売を知って盛り上がる俺ツイート




続きを読む

400年前の南有馬町乙。で起きたのはほんとうに「昔の話」か■飯嶋和一「出星前夜」

出星前夜 (小学館文庫)

出星前夜 (小学館文庫)


飯嶋和一「出星前夜」が
大仏次郎賞を受賞、という報に驚いたのは
そうか、もう4年も前のことですか。

驚きの内訳は、そりゃもちろん
「もらってくれるんだ!」
というものですよjk。

思えば大仏次郎賞も
ずいぶん受賞作にブレのある文学賞
(とwikipediaを見ながら)
・功労賞的なニュアンスが強い年度
・なんとなく話題になりそう。って理由で
 授賞決めてない? と疑われるような年度、
・誰からも文句出ないことがコンセプトですか。
 と言いたくなる年度

云々
大仏次郎の愛読者を
かれこれ30年以上、続けている身としては
微妙な笑いが
片頬に浮かばないではいられません。

そもそも大仏次郎という名前を知る読者が
ほぼ居ないこのご時世で
依然として、その名を冠する文学賞
存在し続けているのも
ある意味で作家・大仏次郎
「実力」の証左ではあるのですが

小説、ノンフィクション、歴史記述など幅広い分野で活躍した作家・大佛次郎氏は、朝日新聞紙上に「天皇の世紀」を連載中に死去。その業績をたたえて、1973年に創設された「大佛次郎賞」は、その形式のいかんを問わず、優れた散文作品に贈られる。

「出星前夜」読みながら思ったのは
これほど大仏次郎賞という賞にふさわしい作品も無いし
この作品に賞を謹呈する光栄に浴したのは
むしろ大仏次郎賞にとってめでたい。
ということでした。

・読者を作品世界に誘い込むパワーとか
・その世界に充満する“空気”の濃密さが
 まがまがしいまでに提示されることとか
・この作品が評判になって……という類の色気を
 まるで感じさせない作者のストイシズムとか

“作家として完成されてからの大仏次郎”と
飯嶋和一に共通するものは多い、と思うのですが
作品単位で似ているものを挙げるとすれば
天狗倒し」~「鞍馬天狗敗れず」ですかね。
(この2編、作品としては別モノながら、
 鞍馬天狗というフィクショナルなキャラクターを
 生麦事件という史実に投入して
 彼の視点から歴史を見つめなおす試みとして
 明白につながっている連作です)

「出星前夜」が取り上げた「島原の乱」も
めでたしめでたしでは終わらないことを
(とwikipediaを指しつつ)
読者の大半は知っているわけですから
この先、どうなる? という興味ではなく

21世紀に生きる我々が
その時(17世紀初め)
その場所(長崎県南島原市)に居たら
何を感じたのか、どう行動しただろうか。

登場人物かわいそー気の毒ぅぅ
的な、他人事としての感想ではなく
読者自身の内側との対話を促して
読み終わるころには
夜半しんしんと降り積もる雪のように
「うおおコトバにならない思いが
 いつのまにか心の中に
 溜まってるんですがああ」
と、ブログエントリーを
書いたりしたくなるわけです←イマココ


そうだ、あやうく言い忘れるところでしたが
作品冒頭に当時の島原の地図をつけ
上下巻にしてもおかしくない700ページを
1冊本として刊行した、小学館文庫は
実にすばらしい仕事でした。
××文庫だったら絶対こうはならないからなッ!

女子による女子のためのサイトを覗くのがたのしくないおっさんがいようか

It Happened To Me: Lady Gaga Tweeted My Poetry Video About Eating Disorders (摂食障害をテーマにした私の朗読動画がレディー・ガガに紹介されてなんかエラいことに)
っていう記事を昨年末
目にしたときにも思ったのですが

オンラインメディアの「xoJane」
が面白くて
定期的に訪問せざるをえない。

そうねえ
女子が集まって話しているのを
真面目な顔で立ち聞きしているおっさん(=俺
という感じですね。
申し訳ありません。

「あなたがイケてることを証明するのにオトコは要るのか問題」
「パートナーとの“そういうんじゃない”ボディタッチ」
「付き合うなら絶対3股。がオヌヌメな理由」
「彼氏の差別発言にどう対応すべきか」
「そろそろ言っていいよね。クラウドファンディング、ウザい」

ライターからの投稿によって成立するサイトなので
当然、記事ごとに
クオリティーのバラつきはあるのですが
某なんとか小町に一定の様式があるように
このxoJaneにも
サイト固有のムード(またはスタイル)があります。

  下世話だけど下品じゃない
  頭の回転の早い女子トーク。
  というような。

で、そうした空気作りに
決定的な役目を果たしているのは
冒頭でも引いた
ホントウにあった話(It Happened To Me)シリーズ
に時折見られる、
硬軟「硬いほう」の投稿。ではないか、
という仮説を立てているところ。

性風俗産業で十年働いてたけど質問ある?」
トランスジェンダーだからってクビになった件」
「15歳の私は19ヶ月間、誘拐監禁されていた」

うん。
そういう系もけっこうあるんです。
「内緒で頼まれた業務用ドキュメントを編集して
 納品した後に大人のおもちゃサイトに飛ぶリンクが
 埋め込まれてるけど何でって聞かれて死にたくなった」
とか
「私の大事なところにこれぐらいのデキモノが()」
とか
そういうのばっかりじゃなくてさ!

「月刊食堂」という専門誌(今もありますね)を買って
業務用冷蔵庫の広告だの
サプライチェーン・マネジメントなんて
見たことがないカタカナの並ぶ特集の向こうに
自分の知らない世界-の“広さ”-
を覗いた中2のころ(!)の経験が
私の原点にはあって
  メディアと読者の関係は
  「ねえこれ知ってる?」
  「知ってるー」
  「いいよねえ」
  「ねー」
  というような
  ホームグラウンド≒身内感も
  重要だけど
  それだけでは飽きるものだから
この、女子会の横で
立ち聞きする
あられもないおっさんの図。
も、自分にとってアウェイな場所まで
遠征するのは刺激になってエエね。
ってことじゃないかと。

じゃあ
読み手ではなく、
メディアの作り手としては
何をどうすればいいのか。
ってそこは……
今から考えますう←

たった3行でエエ話がナンヤソレに変わる、魔法のようなブックレビュー

読了後すぐ

とツイートしたぐらいに
読み応えがあった作品について

3. こんなことを申し上げるべきなのか
2. いや、ダメだ。という葛藤ありつつ
1. 結局書いちゃうんですけど

 値札の横には「ホーランドロップ」と記載されている。きっと人間が品種改良をしたウサギなのだろう。耳をピンと高く張って周囲を警戒する必要のないペット用のウサギだ。
 僕はまたクスリと笑う。このウサギが自らの意志で「何も聞きたくない」と耳を塞いでいるように見えたからだ。
 他のウサギは「いっぱい聞きたい」と躍起に耳を進化させたのに対して、こいつときたら我関せずで鼻をピクピクさせて自分の世界に閉じこもっていやがる。

この「躍起に」って用法に
違和感を覚えるのは私だけですか。
「躍起になって」あるいは「しゃにむに」
じゃないのかなあ?← ×疑問符 ○婉曲表現

形容動詞「躍起だ」の連体形なら「躍起な」だし
名詞「躍起」と格助詞「に」の組み合わせなら
せめて「耳を躍起に進化させた」と
助詞の指すことばが“耳”ではなく
“進化”にかかるようにしなければ
……って、ええい、うるさいね俺


でもねえ しつこいけどね
これ、物語が始まった直後、
2ページ目にあるシーンなんですよ。

気になるじゃないですか。

日本語をどう扱うか、という
極めて趣味的な部分を
どうでもいいわー。
と思っているたぐいの作家なら
失礼しました! って
文字通り敬して遠ざければ済むけど

読んでいけば、すぐにわかることなのですが

たとえば登場人物たちのキャラクターも
既存の類型に拠ることなく
エピソードや会話文を
ていねいに重ねることで
オリジナリティを浮き彫りにしていく、というタイプの
作家だったんですよ?

それに
-安易なフレーズを使いますけど-
北上次郎が2012年ベスト1に推した
作品なんですよ?

たしかに瑕瑾だけど、
それだけに
もったいないと思うんですよね。
ええ、北上次郎なら
「キミはゼイタクだよ」
と一蹴するところですけど。

……たぶん50ページぐらいずーっと
この言い回しが気になってたからなあ。

もうちょっと、こう
作品の細部に
躍起になれなかったものか、と。


でまあ、2013年早々
この作品に出会ったのは収穫でした、
と思ったわけで。
っていまさらホメても遅いですか、そうですか。

私を知らないで (集英社文庫)

私を知らないで (集英社文庫)


キャーン・チエホフスキー氏6年ぶりの復活

「姓名は?」と女下士官が訊ねた。
木山捷平
 すると、女士官のそばに控えていた男の兵士が、キャーン・チエホフスキー、と大きな声で叫んで、私の名前を召集台帳に記入した。むろんロシヤ文字でである。ずいぶん桁はずれな誤訳のように思われたが、私は訂正は申込まないで、兵士が書き終るのを待つと、
「生年月日は?」と女士官が訊ねた。
「一九〇四年」
 と、こんどは私の方で気をきかして、西洋紀元に翻訳して答えると、女士官は五尺一寸たらずの私の貧弱な体躯を改めてじろじろ見ていたが、何がおかしいのか、にこっと笑って、
「どうも、御苦労さま、すぐ、お帰りなさい」
 と、流暢な日本語で最後の判定をくだしたのである。
 と同時に、控えの男兵士が「ニエット」と、もう一度大声で叫んで、「落第」のようなしるしを、召集台帳に記入したのである。「ニエット」というのは不合格、または即日帰郷という意であるように思えた。
 で、私は、(ロシヤ語に翻訳すれば、キャーン・チエホフスキー氏になるところの私は)低い鼻の穴をひくひくさせながら、大急ぎで、校門を出た。とはいえ、駆けたりすれば、どんな拍子で風向きが変らないとも限らない。相手は不可侵条約を反故にした現実国のことである。で、なるべく悠然と歩きながら、しかし私は、さすがにソ連の軍部は日本の軍部より人道的であり、明治天皇サマの聖旨にも添っているように思えた。個人的には、どうもあの女士官は、何となく私の気に入って、できることならもう一度ひきかえして、世間話がしてみたいような衝動にかられた。せっかく、汗水たらして覚え込んだロシヤ会話がつかえなかった残念さの、反動だったかもしれない。
     -「耳学問」

このほど講談社文芸文庫が11冊目の
木山捷平作品集(「落葉・回転窓」)を刊行し
巻末解説で岩阪恵子もこれを
「他の作家とくらべても断然多いほうである」
と書いているとおり
実にめでたいことなのですが
愛読者歴も25年を超えると
舅根性というか、老爺心というか
細かいことが気になりまして。

つまり、11冊目と言うものの
巻末の目録には
「白兎|苦いお茶|無門庵」C3
井伏鱒二|弥次郎兵衛|ななかまど」C4
木山捷平全詩集」C5
「鳴るは風鈴」C9
「大陸の細道」C11
「落葉|回転窓」C12
の6タイトルしか掲載されていないんですよ。

まさかと思うけど
「氏神さま|春雨|耳学問」C2
「おじいさんの綴方|河骨|立冬」C6
「下駄にふる雨|月桂樹|赤い靴下」C7
「角帯兵児帯|わが半世記」C7
長春五馬路」C10
この5タイトルは絶版なの?
  C7がふたつあるのは版元の誤植であって
  私の誤記じゃねーす


講談社文芸文庫というレーベルが
立ち上げられた際には
「後世に伝えるべき作品を」
「絶版や品切れにしないため」
お高い価格で販売するんです、というような
大義名分が喧伝されていたので
うっかり信じていたのですが

新刊とあわせたタイミングで
「大陸の細道」が
C11として復刊された様子を見て
あ、つまりC1の「大陸の細道」は
絶版になっていたってことかーーーっ!!!
と気づいてしまったので
11冊目だわーい!
と素直に喜んでばかりもいられないのでした。

なお、C11には
講談社文芸文庫スタンダード」という
名称が付されているようですが
それって今東光の「悪名」が映画化されて
「続悪名」
「新悪名」
「続新悪名」
「第三の悪名」云々と続いたようなものですか、
なんにせよ趣味悪いですね。

さて。
6年ぶりとなる文庫新刊「落葉・回転窓」
冒頭「村の挿話」を
一読して思ったのが


この作者を語る際に
判で押したように使用されるキーワードは
ユーモア
ローカリズム
ヒューマニズム
あたりで

もちろん「村の挿話」には
そのいずれの要素も色濃く刻まれているのですが
もっとも強く印象づけられたのは
そういう“良い系のことば”ではなく

文筆業を営む人間ならではの
太宰治井伏鱒二に甘えて書いたフレーズにもありますが
ああ、この作家は
「悪い人」だなあ、と
いうことでした。

ユーモアには苦みが必要だし
ローカリズムを自覚するには
最低一度は井戸の外に出る必要があろうし
ヒューマニズム(=人間主義)ということばも
(「ヒューマニタリアニズム[=人道主義]」ではない以上)
人間、この素晴らしくもドイヒーにもなり得る生き物、
というフラットな視点がなければならん。

たとえば好々爺然とした写真、
たとえば代表的な詩作「ふるさと」

  五月!
  ふるさとへ帰りたいのう。
  ふるさとに帰って
  わらびとりに行きたいのう。
  わらびとりに行って
  谷川のほとりで
  身内にいっぱい山気を感じながら
  ウンコをたれてみたいのう。
  ウンコをたれながら
  チチッ
  チチッとなく
  山の小鳥がききたいのう。

こうしたイメージから、
愛読者を自認する私ですら
油断すると
  気のいい爺さん。
と単純化してしまいがちですが
そんなもんじゃないよ、
キャーン・チエホフスキー氏ってのは。
という思いをあらたにしたわけです。

多くのひとの目にとまるといいねえ。

落葉・回転窓 木山捷平純情小説選 (講談社文芸文庫)

落葉・回転窓 木山捷平純情小説選 (講談社文芸文庫)


山口瞳の根本思想の芯の芯なるものに共感せざるをえない

数日前
とある流行作家が
とあるツイートをしていたのですが
それが

・自分の意見はこうだ
・それに与しないひとがいる模様
・その発想がしかし、
 どこから来たものだかテンでわからん

という組み立てで
ふーん。
と思ったんですね。

自分と合わない意見の主を
disるような論調でない部分は
えらいゾ。とほめたい感じながら
(それが出来ない人の多さを考えればねー)

その「どこから来たんだ」意見に
限りなく近い意見を持つ私としては
むしろ
その作家先生の発言にこそ
違和感を覚えた、ということをね
とりあえず記録しておきたい。


……という前置きをして
晩年の山口瞳の文章を引用。
(文庫「木槿の花」収載「私の根本思想」)

 いわゆるタカ派の金科玉条とするものは、相手が殴りかかってきたときに、お前は、じっと無抵抗でいるのか、というあたりにある。然り。オー・イエス。私一個は、無抵抗で殴られているだろう。あるいは、逃げられるかぎりは逃げるだろう。(略)かりに、○○軍の兵士たちが、妻子を殺すために戸口まで来たとしよう。そうしたら、私は戦うだろう。書斎の隅に棒術の棒が置いてある。むこうは銃を持っているから、私は一発で殺されるだろう。それでいいじゃないか。

 それでいいと言う人は一人もいない。(略)人は、私のような無抵抗主義は理想論だと言うだろう。その通り。私は女々しくて卑怯未練の理想主義者である。

 私は、日本という国は亡びてしまってもいいと思っている。皆殺しにされてもいいと思っている。かつて、歴史上に、人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったといったことで充分ではないか。

 そんなふうに考える人は一人もいないだろう。私は五十八歳になった。これが一戦中派の思いである。戦中派といったって様々な人がいるわけで、私は同じ考えの人に会ったことがない。

 二兆九千四百三十七億円という防衛費を「飢えるアフリカ」に進呈する。専守防衛という名の軍隊を解散する。日本はマルハダカになる。こうなったとき、どの国が、どうやって攻めてくるか。その結果がどうなるか。

 どの国が攻めてくるのか私は知らないが、もし、こういう国を攻め滅ぼそうとする国が存在するならば、そういう世界は生きるに価しないと考える。私の根本思想の芯の芯なるものはそういうことだ。

山口瞳の依怙地な芸風と
「マッチョになれない」性分は
ときに近親憎悪を覚えるほど
私には親しいもので
必ずしも彼の主義主張のすべてに
共感するわけではないにもかかわらず

引用した文章の
甘いといえばこれ以上ないほど甘く
理想主義のロマンチストな考え方には
いいぞ、もっとやれ。
と思わざるをえないのです。

敵が攻めてきて
戦わないでいられるのかおまえ。
と高々と発言するのも

亡びてもいいじゃん。
と卑下して言うのも

どっちもどっち

ならば
エエカッコシイの発言のほうが
かっこ悪いと思う。んだ。

文庫化待つってひとも単行本買ってほしいんだけど■という声に過剰に反応する事案が発生

わーおもしろーい。
痛いところを衝かれた人間の典型だねー。
うふふー。

と笑っていただける範疇を
超えてるんじゃねーのか俺。
と思ったのは
新刊書店に勤めるひとであれば
何の不思議もない発想な
「文庫でなく単行本で買ってほしいんだけど」
というだけのフレーズに対して
脊髄反射で
自分の口からことばが次々
飛び出てきたからで

それはあたかも
あ、あのときは
あ、アカウントが乗っ取られてたんだぜ。
と言いたくなるような
白昼夢のような出来事でした。


まあね
目の前にこんなに面白い
横山秀夫待望の新刊が
宮部みゆき畢生の大作が
高村薫の合田雄一郎が
手ぐすねひいて待っているにもかかわらず
「早く文庫化しないかなあ」
とかいっちゃってる我々に
肩をすくめたくなるのは
理解できるんです。

でも、われわれ

■文庫待ちクラスタからひとこと
申しあげたい。
・たとえば1万円ここにある
・全額を本に使っていい
・単行本なら4~6冊買える
・文庫本なら12~15冊買える
・新古書店に行けば30~50冊買える
というようなシチュエーション。
「古いというだけで」
「同じ商品が値下がる現実」
そこに
疑問を抱かざるをえない時代のわれわれは
「最も高い価格であえて購入する」行為には
なんらかの葛藤を経たあとで
結論を出さねばならぬ。
それが真摯な態度というものにあらずや。
……でしょう?

すなわち

・この作家さんに次作も書いてもらいたい
・この本屋さんにつぶれてほしくない
・この本をいますぐ読みたい

そういうよっぽどの理由があれば別、
なければ文庫化を待つ。
2年でも3年でも4年でも。
ご、5年は待たされ過ぎかな
それがわれわれ
文庫待ちクラスタの矜持(キリッ

 上で挙げた
 ・この作家さんに次作も書いてもらいたい
 ・この本屋さんにつぶれてほしくない
 については本題から離れるので
 手短にすませますが

 作家という職種も
 新刊書店という業種も
 絶滅危惧種というべきであり
 その保護施策が
 国家の税でまかなわれる日も
 ひょっとしたら来ちゃうんじゃないか。

 というぐらいながら
 とりあえず
 「本を読むのが好き」な人間が
 自分で出来ることがあるとすれば
 「本を手にする喜びを与えてくれる、
  作者や新刊書店に
  金で感謝の意を表明する」
 ということ。

 ……ではあっても、ですよ。
 単行本をひととおり店頭に並べて
 「ほどよきインターバルをおいてから」
 文庫化する、それによって生ずる収益が
 少なくとも作家の懐に与えるインパクトは
 無視できるほど小さなものではない、
 という点。

 高いの買ってくれるとうれしいって
 小売視点はわかるけど
 たとえば俺はビールしか
 絶対に(いいか、絶対にだ)買わないけど
 世の中では発泡酒だの第三のビールだの
 デフレ傾向が不可逆に進んでいる。
 自分の取り扱う商品群を
 神聖視するよう期待はできないのは
 どんな業種でも同じ、という点。

 いずれも
 「そーなんだよねー」
 ではあり
 だからこそ
 絶滅危惧種という声も出る。
 ってまあ繰り返しになりますが、
 それはまた別の話。
 (ぜんぜん手短くなかった件)

■「この本をいま読みたい」問題
面白いに決まっている本を
たとえば3年とか、待ち続けられるのか
という疑問の裏側には
「すぐ読んでる俺のほうがエラい」という
優越感がひそんでいる、いいや、
否定したってわかる、
なあみんな、そう思うだろう?
(そうだそうだ)
(共感の声)
(文庫待ちクラスタ・決起集会より)

だけどね、あなたね
たとえば3年間ずっと
おもしろいんだろうなあ
読みたいなあ
おもしろいって盛り上がってるしなあ
うらやましいぜ
早く文庫にならないかなあ
と思いを募らせて
それが遂に叶う瞬間の喜びを
あなたたち単行本派は知るまい?

3年待って
しみじみヨカッタ本を
読了する瞬間の
その本の重さは
あんたたち単行本派より
俺たち文庫化待ち派のほうが
待ってた時間分、重いんだよ。

と言いたくなるぐらいには
耐え難きを耐え
忍びがたきを忍び
それが快感に変わる
……という
ああそうさ、俺たちゃ変態さ。
(変態で悪いか)
(怒号)
(歓声)
(嬌声)
(等々)
(同上決起集会、
 ここから先、字がつぶれていて読めない)