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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

彼は河を渡った

日記


イアン・デュリーという、今は亡きパンクなミュージシャンが来日したとき
(1987年。どんだけ昔話やねん)
大阪公演の前座を務めたのは
ウィルコ・ジョンソン・バンドという人たちでした。

不良のお兄さんたちによる
トゲトゲしたギター競争3分間、というような
スピード感満載の演奏も
時間がたつにつれ、さすがに緊張感がダレてきたかもー。
と思うころ、あまり華々しい“出”の合図もないまま
御大、イアン・デュリーがひょこひょこステージに登場。
彼の歌声が響くや
男女不問の、観客席からのカッコイイわー視線を集めていた
壇上のお兄さんたちは瞬殺されてしまい
あたかも不良生徒の輪の真ん中に校長先生が光臨したかのよう。
そして、何を隠そうこのおっさんがいちばんアブナイ。
というような、一触即発な迫力が加わって
ライブは一気に盛り上がりました。

アンコールの最後はイアンによるかの有名なロック・アンセム
「Sex And Drugs And Rock'n'Roll」。
ところが、ここに飛び入り参加したひとりのミュージシャンによって
それまで力強くもモノトーンな印象を与えていたステージが
ばかばかしいほどカラフルなものへと、再度変貌したのです。

イアン・デュリーのバックバンド、ブロックヘッズを
自身のソロアルバム「Razor Sharp」に起用していた、忌野清志郎
東京公演のアンコールに出たらしい、という噂は
当時まだインターネットっつー便利なものも存在しないなかで
なんとなく聞こえてきていたものでしたが
実際に清志郎がステージ奥に現れた瞬間のどよめきは
20数年後の今も鮮明に思い出すことができます。
(さすが年寄り、昔の記憶のほうが自信あるわ)

その瞬間まで、ステージの重力は
イアン・デュリーというひとりの人物に独占されていたものが
清志郎の登場によって
観客の視野は、清志郎ひとりに、ではなく
「ステージ全体にひろがった光」のようなものに向けられて
−それがオーラというものなのか、
はたまたアンコール演奏で照明の光量が上がっただけだったwwのか、
まあどっちでもいいんですが

コンサート会場に蓄積されたエネルギーが
最後の最後“外向き”に発散されていく、
そんなドラマチックな瞬間だったのです。

「ドラゴンボール」で孫悟空が……と
いきなり話は変わるようですが
元気玉を作るでしょ。
おらにみんなの元気を。
で、元気玉ができる。
そのパワーをinからoutに転化するとき、
無数の光が放たれるじゃないですか。

たしかにマンガ的表現ではあるんですが
音楽や、音楽の力を身にまとったミュージシャンが放つ
“光”を実際に体感したことがある人なら
元気玉のああいうシーンが
必ずしも絵空事ではない、という私の感想にも
同意いただけるのでは、と。

清志郎という類まれなミュージシャンの訃報を聞いて
最初に思い出したのは
イアン・デュリーのライブにほんの数分、ゲスト出演した際
驚くほどの明るさを会場にもたらしていた、あのときのことでした。

「渡って」行っちまったんだねえ。