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高遠ブックフェスティバルに行かなかった記


ブックフェスティバル。
ということばの響きだけで思わず浮き足立つのは
本好きな同類の皆様と
まったく同じだろうと思うわけですが

去る8月末の2日間に開催されたイベントは
(公式サイトの概要によると)

このイベントはブックフェアやブックフェスティバルと聞いて一般的に考えられる、出版社のプロモーションや本の売買だけのイベントではありません。また、書店やイベント会場だけではなく高遠の市街地全体を舞台として、地元の方とお客様が主役となって開催されるところに特徴があります。

というもの。

事前に、けっこう真剣に遠征を検討したものの
結局不参加だったのは
・作家のトークイベントには(実は)さほど興味がない
・本の売買にも(それほど)惹かれない
・高遠の町をオリエンテーリング、という企画にはちょっと惹かれる
ブッククロッシングはとってもいいよねえ
ビッグサイトのブックフェア的な催しのほうが(実は)琴線に触れる
云々。
総合するに、今回の高遠は牧歌的にすぎて
遠くから眺めているのがいいのでは……そう思っていた。わけです。
そのわりに、開催後のレポートを
ウェブ上で探しまくっているわけですが。

で、イベントとして採算を云々するレベルには
まだまだ遠いのではと推測するのですが
(岡崎武志によると健闘したっぽい)
なにしろ参加した人々が喜んでいるようなので
「成功」だったんだろうな、と。

そういえば、今年のブックフェアは
過去最高の来場者数、という報道のわりに
現場に立っていた旧同僚たちの話を聞くと
「微妙だねえ」という
そんな雰囲気だったようなので
そりゃブックフェスティバルが
アンチテーゼに置きたくなるのもわかる。

・ビジネスとして「本」を作る、売るということ
・趣味として「本」を読むということ
このふたつが対立項になるのは、しかし
本来そんなに“自然なこと”なんですかね。

同様に、アナログな本好きなひとたちが目のカタキにする
「デジタルとしての本」の展開にしても
(同人誌を発行しているひとたちに
電子書籍の提案をしてみたら脊髄反射のように
“紙の手触りにこだわりたいので”といわれたことを
思い出してちょっとムカっとしている)

並立/共存できるんだろう、とそこは
ほとんど私にとっては信念のようなものなので
つまり、高遠のフェスティバルも
回数を重ねて、熟していくと
今年の高遠と、今年の有明の折衷みたいなところに
落ち着くのかも。
そして、それはある意味で私の理想の
「本の祭典」では。と夢想しているのであります。

……ちなみに私のなかの「高遠」は桜より何より
鞍馬天狗「江戸日記」で悪者(!)が
最後に逃げていこうとする先の地名として長らくインプットされていて
もうそれだけで
“そのうち行きたい”ランキングの上位だったりします。

馬を揃えて三人が伊那の谷を下って行った。ここも満目の秋だ。天竜川を挟んだ段丘は黄金の波を打ち、秋晴れの空に見える木曾駒は、もう新雪をかぶっている。
高遠の城下は、左の山ふところにある。川について上って行くと、白い道の上に行く手から人影が見えた。
「いや」
と、驚いて、鞍馬天狗が叫んだ。
「あいつらだ。わざわざ迎いに出てくれたぞ」
「ほんとうですか。丹後守ですか」
恵之助は信じられなかったように見える。しかし、これはまことに丹後守と、付人二人だった。秋の光の中にこちらを疑って見ながら歩いて来るのだ。
「春日井氏の遺霊のひきあわせであろう。もう一足遅れたら、かけちがったところだ。それ、さとったぞ!逃げようとする」

大仏次郎「江戸日記」