編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

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60年代ブリット・ポップ好きとしては微妙「パイレーツ・ロック」


我が愛する小デブ(=まくらことば)
フィリップ・シーモア・ホフマンの主演最新作
「パイレーツ・ロック」を見ました。

ウェールズが誇る変態(=ほめことば)
リス・エヴァンスにオイシイところを
危うくぜんぶ持っていかれそうになりつつも
帳尻をあわせるだけの見せ場はあって
ファンとしては満足できたのですが
どうもね、映画としては散漫としか言いようがないデキで。

1960年代英国に実在していた、
公海上に停泊した船からロック音楽を24時間流す
違法な“海賊ラジオ局”を描いたコメディー。
なので、当然、
音楽の使い方が映画の首尾全体を左右するのですが
作り手の認識が
イケテル音楽さえ流しておけばOK、
とか相当ヌルイところに安住しているようで。

ストーンズだってプロコル・ハイムだって
たしかに彼らの名曲が流れるシーンでは
不覚にもアドレナリンが噴出してしまいますが
それはあくまでも音楽の力に負っているだけで
「映画の力」ではない。

かろうじて
この音楽の使い方、イイね。と思えたのは
タートルズの「エレノア」と
フーの「恋のマジック・アイ」(やーいい邦題だ。無茶だけど)
この2曲。

登場する女性キャラクターの名前を
エレノア、と曲名にあわせて設定することで
リリカルな曲調と
センチメンタルなストーリー展開とがリンクする、という
前者のミュージック・ビデオふう用法もさることながら
作品中の個人的なハイライトは後者。

フーのその曲を歌えるひとなら
歌詞の最初の1行
(うまく俺の裏をかいたと思ってんだろ?)
が、映画のそのシチュエーション
(政府がついに海賊ラジオの摘発へ、実力行使!)
にいかにハマっているか、がわかって
思わず歌い出し……たくなるのに、
イントロだけでシーンが転換されてしまうという
「寸止めの美学」とでもいいましょうか。

うーん。
一応ほめどころを探してはみたものの
少年の成長譚とか時代の空気の再現とか
ちゃんと描けばそれだけで一品にまとまるはずのテーマを
あちこち食い散らかしたうえで収拾つかなくなって
最後は「いやーファンタジーでした。おしまい」
とお子様ランチにしてしまっているのは、
物語好きとしては……挨拶に困りますな。

ま、率直にいって
脚本家としてクレジットされるときほどの仕事を
映画監督としてはできていない気がしたよ、
リチャード・カーティス