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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

140字におさまらなかったRT @ToshioOkada 読んでない本は資産ではなく、負債なんだ


Twitter上のとあるつぶやきを
発言者である岡田斗司夫本人が
ブログ(ゼネラル・プロダクツ)エントリにまとめていますが
その感想−というよりは、
本当は私もtwitter上でさっくりRTしたかった。
というところから、話は始まるんです。

「本を買う」のは円という「経済通貨」での支払い。「本を読む」のは「時間通貨」での支払い。じゃあ、「まだ読んでない・いつか読まなきゃいけない蔵書」っていうのは、「時間通貨の支払い待ち」の負債じゃないのか? 「いつか読まなきゃ」と気になってる状態というのは、「支払いの利子だけ払ってるけど元本が減ってない状態」じゃないのか?
 −蔵書は負債である http://okada.otaden.jp/e74092.html

私自身はこのときの発言を「良い比喩だな」と思ったのですが
字面だけを抽出するとずいぶん功利的に見える(よね?)のが
いやいや、そういうことじゃないんだって! と
あきらかに蛇足またはお節介に相当する文章を
脳内で書いては消し、書いては消し。
したものの結局140字に収まらず、かつタイミングを逸してしまったので
本来tweetして吐き出すべき何かが消化されず
体内に残って気持ちが悪いんです。

というところで以下、書けなかったRTを嘔吐させてください。
うぇっ。おべっ。げぼっ。

今年、出会った本ベスト10
という企画を−文章化する、しないは別として−
ずっとやっていますが
2009年、間違いなくランクインする作家のひとりが佐々木譲。
「笑う警官」「制服捜査」ぐらいしかそれまで知らずにいた作家の旧作を
見かけるたび、読むようになったのは
作品そのものが持つ娯楽性と
作家と作品世界の不即不離な距離感とが
心地よく読めるから、という
実作への評価はもちろん
Google Library Project云々を調べている途中で遭遇した
彼のブログエントリーに心底共感した、という
作家への評価も大きな要因になっています。

世の中には著作権について、わたしとは絶対に理解し合えないひとがいるのだなと感じる。「本」とはどんなものなのか、という根本の部分で、わたしとこのひとたちとでは認識がまったくちがうのかもしれない。
たとえば、読書好きのひとたちのあいだを次々と渡っていって、二十年か三十年後、モロッコの木賃宿のロビーでついに最後の綴じ糸も切れてばらばらになる、というような本と、その本の生涯を、わたしは理想のひとつとして夢見る。でも上記対談のひとたちはちがうようだ。モロッコまでの旅の途中の読者からも確実に印税が入ってくる機能を持った商品ができたとき、それを理想の本だと思うのだろう。
 −GLP和解参加をニュースで http://sasakijo.exblog.jp/8213926/

著作権法の解釈とかフェアユースとか、
“議論のための議論”においてさんざん語られているトピック周辺で
実作者(特にいわゆる“小説家”)が言及する例は本当に少ないのですが
この、佐々木譲の発言は
「本を読んで育ってきたひとが本を書くひとになった」
ケースにおいて
もっとも誠実な態度ではないか、と個人的には思うのです。

※さらに個人的にいえば
・上記引用部の“モロッコまでの旅”は無償の行為/好意の連鎖でいいけど
・新古書店などの“商行為”は著作権者への還元があっていい
と考えるのですが、それはまた別の話

そして何故、俺は彼の考え方に共感するのか。
を考えるため
「いちばんイヤな考え方って何だろう」を想像すると
・電車の3人掛座席1人前スペースに腰をおろして
・しばらくすると隣客が降りると、間髪入れず
・自分の荷物で2人前スペースを確保しようとする
……そんなような。
精神上の贈り物を先人からもらった過去があるなら
人は誰しもそれをまた次代へつなぐ、
ノブレス・オブリージュを負うべきなのに
そのことをわかろうともしない。
そんなひとにはなりたくない。

というところで、あらためて頭に浮かぶのが
14歳のころから拳拳服膺している
内田百間の「忘却論」一節。

何の学問でも始めはぎゆうぎゆう詰め込まなければ後の道が通じない。
詰め込め、詰め込め、詰め込まざれば中は空つぼである。
うんうん、うなされる程詰め込め。
(略)
気の弱いのが、先生そんなに詰め込まれても、
ぢきに忘れてしまひますと訴へる。
構はない。
覚えてゐられなかつたら忘れなさい。
試験の答案に書くまで覚えてゐればいいので、
書いてしまつたら忘れてもいい。
しかし覚えてゐない事を忘れるわけには行かない。
知らない事が忘れられるか。
忘れる前には先づ覚えなければならない。
だから忘れる為に覚えなさい。
忘れた後に大切な判断が生じる。
語学だけの話ではない。
もとから丸で知らなかつたのと、
知つてゐたけれど忘れた場合と、
その大変な違ひがいろいろ忘れて行く内にわかつて来るだらう。

この文章こそが「貯蓄しなければ」という脅迫観念から
私を解放してくれた記念碑で
(解放しすぎたという説があることは知ってます。知ってますって)
三つ子の魂ではないけれど
しみこんでいるものだなあ。
だって元祖天才バカボンのパパと同い年ですぜ。
読んでから四半世紀以上も
私の魂を救い続けているってすごいよね?

……以上が
Twitter岡田斗司夫発言を目にした瞬時に
Amazon流にいえば“あわせて読みたい”と
私の読書歴エンジンがレコメンドした内容だったのでした。
ああ、吐いてちょっと楽になったなう。