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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

本屋大賞連ドラ化決定(全12話)!■の文字で妄想する物語(第1話~第4話)

本屋大賞
ついに10回という節目を迎えるのを
記念いたしまして

WEB本の雑誌
名物連載「帰ってきた炎の営業日誌」を
並べて遊んでみたん。

ここ数年
・受賞作品は必ず売れる
・映像化もされて話題になる
云々
まさかの“権威”っぽい感じになって
初期からのウォッチャーとしては
感慨深いわけですが

そうなったがゆえに、
本屋大賞叩くとウケる”
と判断する風向きなども出て来ていて

賞を育て上げた当事者各位が
イラッとしておられるであろう以上に
 おまえらうるせえ。
と一介の通りすがりである私ですら
思ったりもするわけで。

ええ、なにしろ単行本買わないんで
本屋大賞には
いかなる意味でも参加できない私。
なんですが
  それとも
  「泡坂妻夫引退公演」が
  本屋大賞に選ばれる
  パラレルワールドが
  ある、とでも?
そういう立場のウォッチャーだからこそ
見えることもあるんじゃなかろうか。

というわけで
本屋大賞」の歴史を
炎日記の引用で
ワンクール分を組み立ててみた……ら
長くなったのなんのって。



連ドラ本屋大賞■第1話「とある年度の受賞式」

2007年4月6日(金)
 朝起きてポツリと「疲れたなぁ」と呟いたら、隣で目を覚ましていた娘に怒られる。
「パパ、起きてすぐ疲れたって何よ」

2007年4月5日(木)
 第4回本屋大賞は『一瞬の風になれ』佐藤多佳子著(講談社)に決まりました!! 本屋大賞史上初の全3巻ものですが、読み出したらイッキ読み間違いなし、というか読み終わるのがつらくなるほど面白い小説です...ぼんやり考えているうちに開場となり、多くの書店員さん、多くの出版社の方々、そしてノミネート作家の森見登美彦さん、有川浩さん、万城目学さんが来場され、そしてそして壇上には佐藤多佳子さんがいて、という発表会がスタートした。

2007年6月8日(金)
 そういえば、第1回本屋大賞の受賞スピーチで小川洋子さんも同じようなことを話していたっけ。

 これまで多くの書物を書いてきましたが、自分の書物が世の読者の心に届いているのか、常に不安と孤独を感じていました。でも、今日会場にある手作りのPOPを見て、「あなたの作品をしっかり世に届けていますよ」といういうみなさんの思いが感じられ、みなさんに背中を押され、励まされた気持ちです。明日からまた読者の心に届くよう書物を書いていきたいと思います。
本屋大賞ホームページより)

連ドラ本屋大賞■第2話「あのころ、若かったぼくたち」

2010年4月21日(水)
 七年前、いや準備はその一年以上前からしていたのだから、八年前に「本屋大賞」を作ろうと走りまわっていたときの私の心情はこんな感じであった。
 「編集者よ、売り場はこんな真剣に本と格闘しているぜ!」
 当時はまだ本を作る人、すなわち作家や編集者が「川上」と呼ばれ、営業や書店等販売の現場を「川下」と例えられるほど、編集者は偉かったのである。私は元々本屋さんでアルバイトしていたし、出版業界に入ってからもずーっと営業をしているので、売ることを見下した態度でいることが許せなかった。いや編集も営業も販売ももっと手を結んで、本を作り、売ればいいのに……と歯がゆい気持ちでいたのだ。
 そして酒飲み話で始まった「本屋大賞」は、私の個人的な気分としては、編集者に対しての挑戦状でもあったのだ。

2002年11月6日(水)
 師走の気ぜわしさを迎える前なのに、何だか信じられない忙しさ。入社以来最高といっても過言ではない。営業、デスクワーク、交渉事、企画、打ち合わせ、そして溜め込んでしまったこの日記の原稿など、とにかくいっぱいいっぱいの状態だ。これは何も3日間の出張の影響でなく、追い込まれなければ気合いの入らない怠惰な性格と余計なことについ口出しして己で仕事を増やしてしまう性格が災いしてのこと。ああ、後悔先に立たず。

2003年10月3日(金)
 午後、出版業界の専門誌、新文化のIさんから『本屋大賞』の件で取材を受ける。...僕の一日は基本的に「聞く」ことに徹しているので、その逆に取材なんていう話しをなければならない場は非常にキツく、おまけに常に裏方でいたいと思っているので表に出るのもツライ。しかしとにかく我が身を捧げている『本屋大賞』のことなら、何でも引き受けるしかないのである。

2002年10月19日(土)
 朝、埼玉スタジアムの列並びに向かおうとしたら、1歳半を過ぎた娘がゴホゴホ咳き込んでいた。...それほど悪いわけではないが、ちょっとつらそうな子供を前に、埼スタへの出発を躊躇していた。するとその様子を眺めていた妻が「...いつもレッズがなかったらオレは死ぬって言っているんでしょ...これくらいの風邪は子供はしょっちゅうひくの。アンタがオロオロしても意味がないの。アンタの一番好きな福田が、子供が風邪だからって試合で手抜きするの? しないでしょ」
 ...興奮のまま帰宅すると、娘が寄り添ってくる。病院には妻が連れて行ったようだ。福田のコールを大きく歌い上げると、娘も両手を上げて真似をした。

連ドラ本屋大賞■第3話「初期の本屋大賞

2004年4月12日(月)
 ついに『本屋大賞』が発表、そして搬入となった。...出来上がったばかりの『増刊 本屋大賞2004』を眺めていると自然に涙がこぼれ落ちそうになってしまうが、本屋大賞の成果が問われるのはここからであることを思いだし、ぐっとこらえる。
 そう本屋大賞の目標は、大賞である『博士が愛した数式』小川洋子著(新潮社)や上位10作はもちろん書店員さんが投票してくれたすべての本が、この企画から売れていき、少しでも本が読まれるように、そして売れるようにすることなのだ。本屋さんに活気が戻るようにすることなのである。

2005年1月6日(木)
 実は去年この本屋大賞を「大変、大変」と書きすぎて、皆さんにご心配をおかけしたり、ひとりだけ大変な感じを訴えるのも、なんて考えて今年は書かずにいたのだが、いやはややっぱり大変なのだ。...これだけ大変なことをして、儲かるのは該当出版社で、何だかこうなるとやたら自社本に賞を上げる某賞の気持ちがよく分かって来るではないか。ううう。
 そんなわけで超残業モードで帰宅すると生後20日の息子がふぇーふぇー泣いていてウンコをプシューっとしているし、そのおしめを替えつつ乳をさらけ出した妻は充血した目で僕を睨み、そして赤ちゃん返りした娘はふて寝しているではないか。スマン、本当にスマン。妻よ、お前が大変なのはよーくわかっているし、今が回復期で大切なことも承知している。でもな、でもな、オレには実は娘と息子以外に、もうひとり子供がいて、それがこの「本屋大賞」なんだ。こいつはこいつで、すごく手間のかかる子供で、そしてこの子供の成長を待っている人がいっぱいいるし、たぶんオレが今まで生きてきて、しかもこれから生きていくなかでも、こんなにまともなことはきっと出来ないだろう。だからこいつがもう少し成長するまで我慢してくれ。

2004年11月25日(木)
 午後からは本屋大賞の裏方の打ち合わせ。圧倒的に金が足りず、頭を抱えてしまう。誰でも思いつくこの企画を、それでも誰もやらなかった理由がよくわかる。もう少し自立した状況にしない限り、長く続けるのは難しいのだ。スポンサー大募集中です。よろしくお願いします。

連ドラ本屋大賞■第4話「何がうれしくてやってんのかって?」

2007年4月6日(金)
 新聞を取りにいくと本屋大賞発表の記事に「すでに70万部も売れているベストセラー」(朝日新聞)みたいな嫌みな文章がついているではないか。...70万部って、そのうち30万部は、本屋大賞受賞で重版した部数が含まれているんだけど。だから受賞前で考えれば40万部が正しく、しかもそれは全3巻合わせての部数だから単純に割れば各巻約13万部。それでも確かに本の売れない時代だからベストセラーの範疇に入るかもしれないが、それだったら第1回の『博士の愛した数式小川洋子著だって、本屋大賞前は10万部だったわけで、大して変わらないのだ。どうしてそんなにネガティブに伝えようとするのかわからないなぁ。

2006年3月14日(火)
 大手町のK書店でHさんや御茶ノ水のM書店Yさんから「本屋大賞お疲れ様です、すごい楽しみにしてますよ」と声をかけられ、うれし泣き。こうやって支えてくれる人がいるから続けられるのだ。

2007年5月28日(月)
 銀座へ移動。K書店のYさんから「4月の文芸書は本当に酷かったのよ。あれで本屋大賞がなかったらどうなったことやら。本屋大賞様々よ。ありがとうね」と優しい言葉をかけていただく。涙。

2010年4月21日(水)
 あちこちの書店さんを駆けずり廻っていると、古希を迎えた母親から電話が入った。
「昨日本屋大賞だったんでしょう?」
「そうだよ」
「お母さん、朝からずーっとテレビ見ているんだけど、あんた全然映らないね。...あんた出ないじゃない」
「そりゃあそうだよ、俺、裏方だから。会場なんてほとんど入ってないもん。受付でお土産の準備したり、舞台の袖で進行確認したりして」
「嘘つきなさい!」
「えっ?!」