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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

与太郎が与太郎として生きていく社会を維持することってそんなにオオゴトですかね


9歳児の運動会に行きましたら
近所のスーパーでは何度が遭遇したことがある、
与太郎的な女の子(……表現として十分穏当ですか、どうですか)が
来てました。

そうね、年の頃を問えばローティーン、
服装含めてアピアランスは至ってふつう。
唯一「ん?」と思うのは
常に「すみませんっ」と言いながら疾走していること、ぐらいですか。

……いや、マジで高速移動なんです。
あと、彼女の「すみませんっ」がね
間違いなく「俺に問いかけてる?」という感想をもたらすような
すげーインチメイトなところ、かな。

んで、そんな彼女の存在が
高学年児童を中心に
「おお○○ちゃんだ」と、
コンプガチャにおけるレア扱いされていた光景が
わりと本日の収穫のひとつだった。という話なんですけど。

21世紀のニッポンは
与太郎的なモノすべてを排除する方向に進んでませんか?
それって、あきらかに“後退”ですよね。

だって、江戸時代に範をとったフィクションである、落語世界では
与太郎は、あきらかに「私たち」とは異なる価値観の持ち主ですけど
だからといって、それが理由に
存在を否定されることはない。
むしろ(「佃祭」のように)必要な存在とされて、そこに居る。

なんかここ数日、モニョらざるをえないような話題を見るにつけ
与太郎与太郎として生きていく社会を維持することって
そんなにコストの高いこと、なんですかね。

ねえねえ、それって
俺たちの心の持ち方ひとつなんじゃね? 違うんかね。