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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

奥田英朗の「無理」はそこまで無理でもなかった


「邪魔」と「最悪」
相変わらず、どっちがどっちだったか
思い出す気もなく書き始めていますが
奥田英朗といえばその2作品!
を挙げたい気分が常にある読者でごんす。


文庫化最新作「無理」も上述2作品同様
いわゆるグランドホテル形式、
複数主人公がそれぞれの人生を歩いていく足音が
偶然重なったり・すれ違うとき
たまたま奏でるアンサンブルを愛でましょう。
そういうタイプの小説で
これ、容易に想像できることですが
腕がないとそもそも作品として結実しないですね。


作中人物を書き分ける腕力
読者を遠慮なく引きずりまわす膂力
そして
「おお、そうやって集約させるか」という構成の妙。


どれをとっても(くどいようですが)
「邪魔」「最悪」で
アッパレとしかいいようがないほど成功済なだけに


逆に、作家としてのアブラが乗ってる時期に
「また」「そのパターンをやる」って
どうなんだ。と正直思いながら読み始めたわけです。



話は一瞬それるんですが
奥田英朗とはまるで別タイプの作家さんが
ツイッターでつぶやいておられて
そうだよなー。と今朝思ったのが
某週刊誌の立て続けのスクープを評した

世の中とはこういうものなのかもしれないけど、あまりにもなんていうか……
正直、空気が臭い、息苦しい


ねえ。

面白いな、と思ったのは、この作家さんも
憎悪とか愛憎とか
ドロドロしたナマの感情の中で浮き上がって見える
「人間というもの」
を描いてきていたんではないのか、と。


そして、あんなに息苦しいほどリアルに読んでいた作品の
作者がまさに感じているとおり
ひょっとすると、いまや現実のほうが
フィクションばりに息苦しくなっているという
……面白くはないね、コワいね。


あ、そうじゃなかった。
言いたかったことは
「とはいえ、現実にフィクションが負けちゃダメっすよね」
ということでした。


作品「無理」を
作者ふりかえっていわく

ストーリーに頼った小説ではないので。
ただ書きすぎないようにっていうことにいちばん気をつけました。
もう言わずもがなのことを書かないように書かないように、と。
結局、読者にゲタを預ける部分がすごく多いんですね、この小説は。
http://bunshun.jp/pick-up/muri/interview/index.html


「邪魔」も「最悪」も
あまりに“よく出来てたフィクション”だったので
あえてそうしなかった、という弁に読めて
その試みについては意気やヨシ、と賛同したうえで
申し上げたいのですが


複数主人公が
「無理」というキーワードにまとめるしかないような
シチュエーションにそれぞれ陥って
そのうえで一瞬
彼らの人生が交錯する。
そのあとの
「ゲタの預けられ方」には
若干「ん?」となったりはしました。



つまり、奥田英朗読者だから預かります、そりゃもう喜んで預かりますけど
もうちょっと預けるゲタのあり方というか
ゲタの預け方というか、そのあたり……


これ、「現実にフィクションが勝っている」か?


だって奥田英朗が「無理」っつーんだからー
もっと「無理」かと思うじゃないですかー。ふふふ。
おっけー(=おっけーなんかい!