編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

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主人公と同い年の女児を通して見た「千と千尋の神隠し」

ジブリ作品に限らず
子どもが何かと“出会う”機会を
親が恣意的に作り出すのは
可能なかぎり避けたい、と思いがちなため


地上波でのOAタイミング即ち
スタジオジブリ作品との遭遇、なことが多い我が家の小学生。
去る5月OAが初「ナウシカ」だったのに続き
先日(2012/7/6)のOAが初「千と千尋」でした。


ずいぶん面白かったらしく
翌朝になっても
「ねえ、ハクの名前ってなんだっけ」とか
「千も千尋も同じ子の名前なんだよね。
 だったら『千の神隠し』でいいんじゃないのタイトル」とか
簡単には答えられないような、面倒な追求をしてまして
ほぼノーコメントだった「ナウシカ」とはエラい違いやな感。


主人公の荻野千尋が自分と同級生、という設定が
物語を身近に感じる要素だったんでしょうか。


2001年の劇場公開時(当時30代の)私が感じたのは
・過去の宮崎作品コラージュかあ
パヤオはもう「先へ進む」んではなく「まとめ」フェーズってことなん?
・それでも「もののけ姫」よりはこっちのほうが初心者には優しいかもな


つまりまとめると
「もう新しいwktkは期待すんなよ」と言われたようで
ずいぶん寂しい思いをしたものじゃった(=遠い目


しかしまあ、主人公と同い年の、同じ性別の視聴者が
物語に引き込まれているのを公開から数年後に見るのは
なかなか楽しい体験であり
以下、何が彼女をしてそこまでのめりこませたのか、
要素を想像してみましたの巻。


■「お父さん! お母さん!」


エラそうな口をきくわりに(9歳児ってナマイキですよね!)
「親がいなくなったらどうしよう」
が最大の恐怖になりうる年齢なだけに
物語冒頭で両親と切り離されてしまう、というシチュエーションは
小学生を引き込むインパクトとして十分だったんじゃないかと。


小僧どもは物語が動き出すのを待てない。
ということを考えれば
「千と千尋」は若干
イントロ長いほうなんじゃないか、と思わないでもないですが
物語が始まってからも適宜ブタの両親のシーンがはさまるタイミングとか
よく出来てるなあ、と思ったです。


■「ここで働かせてください!」


キッザニアを満喫する心理と同じで
未知の「働く世界」への憧れを疑似体験する装置として
なによりこの物語は機能していた、と思います。


「ナウシカ」の主人公は働いてるというには崇高に過ぎるし
魔女の宅急便」の主人公は働いているといえばいえるけど
小学生が自分に引き付けて見るには空飛んじゃってるしさ、
“自分と同じ年頃の子どもが働いてる”姿を
アニメーションとして見たのはひょっとして初めてだったんじゃなかろうか。


しかも油屋で実際に主人公がやってたのって


・軽めの肉体労働
・悪臭に耐えての接客
・抜擢されてのクレイマー対応


ブラック企業というわりに
「お仕事体験」として
まだ耐え得るレベルの経験として描かれるうえ
先輩からの褒賞という、仕事の“やり甲斐”も
セットですからね。


そういう意味でも
勤労とは。が
視聴者たる子どもにとって
大いに興味をそそられる点だったのではないか、と。


■「ハク!」


我が家の児童は基本バラエティー脳なので
異性がどうこう、というプロットには冷淡なのですが
ハクぐらいに淡い感じで描かれる間合いが
ちょうどいい色恋要素なのかもしれません。
わかんないけど。


ただ、傷ついたハクに対してもそうだし
坊やカオナシに対しても
主人公は一貫して「お母さん的に」接してましたから
あの年頃の女児にしてみれば、それが
愛情という感情発露のあり方として
“わかりやすい形”なのかも。とも思いました。



物語の最初と最後で
まったく同じ絵で描かれる
「親のあとを追う子ども」像は


・表面的には何も変わってないはずなのに
 俺たちには「成長した」姿に見えてしまう
 =見る側の思い込みって勝手なもんだねえ


と11年前には思ったものですが
今回、主人公と同世代の観客というフィルターを
ときどき覗きながら思ったのは


・いつかは女性になる女児の、
 いまはまだ表面に現れないポテンシャル


でした。
現実世界でどれだけ頼りないように見えても
荻野千尋という女児は
なんかのきっかけで成長することが可能なものを
内側に秘めてるよ、と。


もう出典忘れましたが
この物語は
千尋と同世代の子どもたちに向けてのエールみたいなもので。
とかつて宮崎駿は言っていたように記憶しています。


実際に我が家のお子さんに作者の声が届いたかどうかは別として
子どもの親になってみると
なるほどねえ。