何回目かの「サマーウォーズ」を見て元気玉の由来に思い至らなかったほうがよかったでござる
初めて「サマーウォーズ」見たときの感想にも書いていたんですが(←忘れてた
クライマックスの元気玉シーンと
その直前のアクダイカーン登場シーンが
この作品の白眉、という個人的な感想をあらためて認識。
ところで
つまらなくなる危険を承知のうえで
「元気玉」を分析してみると
・(ぼく、わたしのヨリシロとしての)主人公がいて
・(ぼく、わたしのヨリシロとしての)「その他おおぜい」がいて
・「その他おおぜい」は時と場合によって敵にも味方にもなりえるぐらいの曖昧な存在
・主人公が体現する「善」が苦戦する絶体絶命の時に
・「みんな」が力を出しあって強大な敵を倒します
※蛇足を加えるなら、能天気とかいわれながらも
最後の1文が可能だと“信じる心”が
元気玉の本質ではないか、と思う私
物語に分散して存在している「ぼく/わたし」が
ついに一体化することで得られるカタルシス、
というこの構造は
神話などに似たような事例はあるんですかね。
……ってちょっと考えたんですが、
あんまり無いんじゃないだろうか。どうでしょう。
でもね、物語って
枝葉末節においてはクリエイター独自の感性が反映されているにしても
骨格は神話などにモチーフがある、とする説に賛成な私としては
いかな天才鳥山明にしても
彼が無意識のうちに元気玉の参考にした何か
があるはず。うーん。うーん。
わりとすぐ思いついたのは
一向一揆のような
強大な敵に無名弱者が団結して戦う、という構図。
しかしあれ、逆説めきますけど
ゴレンジャー系戦隊ものが時として
数を恃んだ集団暴行にみえなくもないのと同じで
「無名の弱者」が強すぎない?
やっぱり、敵がどれだけ強大であっても
引導を渡すのは
ひとりの英雄でないとイカンのですよ。
彼/彼女に「力を貸す」という形式、
ここが元気玉として重要なポイント。
とツラツラ考えてたら
みんなでちからをあわせればーなんにもおそれるものはないー
というフレーズが口をついて出てきまして
おお、「太陽の王子ホルスの大冒険」は
元気玉に近いんじゃ?
東映アニメーション伝統まつり、という「サマーウォーズ」の隠れコンセプトとしても
この結論は美しい。
ちなみに、「ホルス」は
高畑勲・宮崎駿というふたりの出発点であり
彼らの思想背景に
「みんなで力をあわせることで強大な権力を倒すことだって可能に」という
夢物語としての共産党宣言があることは
まあわりと有名な話ですので
つまり、サマーウォーズの感動
An Natsuki Bitte benutz' meinen Account.
の余韻にひたって
ドラゴンボールの元気玉の淵源をたどっていくと
考えないほうがよかったんじゃね? という地点に
落ち着いちゃった。てへ。