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46.西海道中記


初出:1958年週刊明星
参照:朝日文庫版(10)(1981年11月、解説なだいなだ)・中公全集(9)
時代設定:1865年10月
 「実は、薩州との密約の草案が、こちらで話が出来たので、至急に国の方にやって同意を求めたい」(=薩長同盟の締結は1866年3月)
 「都では紅葉の噂が出るようになると、それまで晴れていた空から時雨がこぼれて来るような日を迎えます」


アンチ主流というアイデンティティーを持つ鞍馬天狗に向けられる視線は
むしろ味方側からのそれのほうが厳しくなる場合があります。

 小野村隼人は、桂が渡した小判が百両はあったろうと見て取って、おどろいていました。鞍馬天狗が襖から外に出て行ってしまうと、
 「あんな大金を、彼ごとき浪人者に」
 と、思わず声に出たものです。

フリーランスがサラリーマンに受ける仕打ちの数々、というテーマとしては
シリーズに「18.宗十郎頭巾」という作品があるのですが
(そこではフリーランサーは敢然と戦うのだ!
 お、おれたちフリーランスを馬鹿にするな!
 ……すみません興奮してしまいました)
本作はそうした対立構造が物語の軸に据えられているわけではなく、
主人公が「そう見られている存在」として、基調でずっと鳴り響いています。
そのせいか、非主流を行くフリーランス
「自由」以上に「寂しさ」が印象に残る中編になっています。


クライアント(=長州藩)依頼で、本業ではない運搬仕事を請けた主人公。
彼が西へ向う道中を追う、美貌の女スリ!


作者自身がいかにも興味薄そうに(!)この女スリに言及している文章があります。

 大衆小説の道中物に、女スリや泥棒が必ず出現するのも、悪いことをして追われる彼らだけが実は旅をする自由と勇気を持ち、普通人は武士でも用事が無い限り遠方に出る習慣がなかったせいである。つい明治の前まで旅行をすることは日本人の生活では極めて例外の行為だったのだ。
    中公全集9巻あとがきより

物語の類型という要請から登場させた。といわんばかりですが
本編を引っ張っていくのは、ほかでもなく彼女です。

そのことによって
本来のシリーズの立て付け
鞍馬天狗という正史の外に立つ人物の目を通してみる幕末のニッポン」に加え
「女性の目に映る主人公」という、さらに外側の視点を読者に提供することになるわけですが
彼女が作品に及ぼしている影響は、枠組みだけではありません。
たとえば次のような、いかにも物語全体のトーンに合った一節。

  お芳は、夢でも見ているように、無関係な顔色で、つぶやきました。
  「みんなが、いろんな注文を出す」
  「なんだと?」
  いっそ、はなやかに見えた笑顔をひらいていました。
  「あたしの注文は、何なのだろう? 生きてるこの世に、どうして欲しいというのだろうね」

女スリ、お芳が業務上
敵対関係にある鞍馬天狗に惹かれてしまうのは
ある種のお約束ではありますが
それは実は「SNS疲れ」と同じような意味での「フリーランス疲れ」。

臨時雇いとして気にそわない仕事をやることに、
いいかげん厭世的な気分になってしまっている彼女と異なり
鞍馬天狗は伊達にフリー歴が長いわけではない。
フリーランサーの先輩と後輩、な彼と彼女が会話を交わす終盤が
まぎれもないクライマックスになるのも道理、といったところでしょうか。

そう考えてくると、これは
作者のいわゆる「旅をする自由と勇気」を失いかけている若者に
先輩が活力を再注入する物語であることが、わかるのです。