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41.夜の客


初出:1957年サンデー毎日
参照:中公全集(6)(1960年10月)
時代設定:1864年2月
 桂小五郎が愛人の幾松の酌で酒を飲んでいる席に鞍馬天狗が姿を見せたのは、それから小半刻ばかり後であった。
 (=1864年、禁門の変以前)
 「どうも新撰組も、ひところにくらべると素質が落ちたようですな」
 (=1863年2月では新撰組結成直後の時期にあたり、不適当)
 「次の日の朝は、朝霧が晴れて日が昇って来ると美しい冬空になっていた」
 「梅か? 早う咲いたものだな」

モチーフが先行する「38.紅葉山荘」と完全に一致するという
かなりレアな作品です。

ネタが無かったので焼き直し再利用した……とは思いづらい作者なので
このテーマは1話の読み切りでは描き切れていなかった、
というリベンジの意図があったのか。
あるいは
−通俗な想像が許されるなら−
現実に起きた何事かを
作者が「古くからの友人」と呼ぶ、鞍馬天狗に仮託したのかもしれません。
たしかに、そういう読み方も可能な筋書きではあります。即ち

真実を知ることは時に苦い


ところでオフィシャルには「年齢不詳」とされている鞍馬天狗ですが
本作を典型例として、桂小五郎とじゃれ合っている様子をみるに
どうも彼らが同い年な気がしてなりません。

西郷隆盛 1828年
桂小五郎 1833年
近藤勇  1834年
土方歳三 1835年生

むろん西郷ともずいぶん親しく胸の内を語り合う仲ですが
桂に対するときには無い敬意が込められるようで
それは、対桂では覚えない“年長者”という感覚のせいではないか。

なお、ついでに生年を並べてみた新撰組隊長にも
ご存じのとおり、終始「さん」付けで接しており
これはまあ、敵でありかつ同格とみなしているがゆえの敬称でしょう。
ええと、あと、土方。
彼もほかの登場人物同様に
「土方さん」と呼ばれている、で間違いはないのですが
なんと申しますか、土方ファンでなくともあきらかにわかる、
軽んじられている扱い……ええ、もう、本当に常々申し訳なく思っています。←何

 「おいでやす。」
 と、幾松が、迎えるあいだに、男同士は目を見合わせて、何事か、にたりと笑い交した。
 そのまま何も言わず、坐ったが、幾松の酌で桂がさした杯を受けてから、鞍馬天狗は初めて口をきいた。
 「だが、ご無事で何より。」
 桂は、急に背をそらして笑い声をあげた。幾松にはなんのことかわからず、美しい瞳を見はった。
 「馬鹿いうな。あんたこそ。」
 と、桂は言う。鞍馬天狗は、黙って、にやにやしていたが、幾松が気をきかせて席を外すと、
 「あぶなかしくて見ておられなかった」
 「はははははは。」

まあねえ、30そこそこの若者たちが
青春を謳歌しているシーンだと思えば
このはしゃぎっぷり(そんなに笑うところじゃないよ!)も納得できますね。
なにしろ若いよなー。