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32.拾い上げた女


初出:1951年オール読物4月号
参照:中公決定版(11)(1951年11月)
時代設定:1869年5月
 「明治二年の晩春の夜になってからのことである」


鞍馬天狗シリーズというものの
作者にとっての始まりは
読み切りの軽い1編として世に出したもので。
というのは有名な話ですが

たまたま時代を江戸幕末にとり
たまたまそれが好評を博したせいで
続編を書いていくと
必然的に、明治維新を−より正確にいうなら「維新」後を−
書くことになりました。

いつの時代も政治家はうさんくさいものですが
維新」成った後の日本がどんなものだったか。
を記していることが
鞍馬天狗シリーズを一介のエンターテイメントに留めない
最大の理由であると、私は考えます。
そして残念ながらちっとも古くなっていない。

力作長編「29.新東京絵図」でその試みに形を与えた後
断章として書き加えられたのが「31.海道記」と
この「32.拾い上げた女」。
3編のうちでは最もコンパクトですが
鞍馬天狗がどういうスタンスで居たか、は明示されています。

 「断る。」
 と、鞍馬天狗は、相手の大げさな物の言いようにむかむかして来ていた。
 「私は、官軍には使われておらぬ。」
 「だがよ、あんたと私は……」
 「筋が違う。なるほど、あんたと私は、あんたと私だ。だが、この件には、入りなさるな。古い朋友だろうと、断るものは断ります。」
 「はははははは。」
 声ばかりで空虚な笑い方である。もとは、こんな笑い方をしない男だったが、いつからか他人の笑い方が伝染ったものであろう。そうだ。朋輩の間で、こんな口先だけの笑い方がはやっているのかも知れぬ。

維新」というボキャブラリーを
あくまでもポジティブに使うものと信じて疑わないセンスは
「口先だけの笑い」で用が足りる世界にふさわしい、と思うんですが
それが自分に全く関係ない話、と割り切ってもいられないあたり
大なり小なり、我々の人生も
鞍馬天狗と無関係でないってことでFA。