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36.青面夜叉


初出:1952〜53年サンデー毎日
参照:毎日新聞社版単行本(1953年6月)
時代設定:1865年2月
 「鞍馬天狗先生は、一度、深い御恩になった...別れて以来、先生は私には苦労して探しても、つかまらぬ」
 (=「17.地獄の門」以来、是枝七郎左衛門が再登場)
 「京に悪い名物の、朝からしんしんと底冷えした日だったが」


正確には「17.地獄の門」に登場するのは是枝七郎衛門
本作に現れるのは是枝七郎左衛門なのですが
まあ、その異同は気の迷い。同一人物ですね!(キリッ

人間は顔形云々よりなにより、まず身だしなみ。
  ヒ ゲ を 剃 れ
と、鞍馬天狗にお説教される
有名なメンズファッション談義シーンがこちらです。

 「手前は、まだ二十七歳なのです」
 「それは」
 と、静かに鞍馬天狗は言った。
 「それなら、もう少し、きれいになさい。せめて、剃刀だけでも毎朝、使われることだ。いや、私は真面目で、そう申し上げる。なんで町の者が、うろんに思うような髯だらけの顔をしていられるか?」
 「貧乏だからです」
 と、急に威丈高の返事であった。受けるほうは、びくともしなかった。
 「剃刀も買えぬとおっしゃるか?」
 と、問い返して、
 「そりゃあ買えないのではない、買わないのだ...貧乏したら貧乏したで、よけい身だしなみだけ、よくしましょう」


ファッションとはとてもいえないレベルの話で恐縮です。
もちろん、形而上の話のための前フリなんですけれども。

 「浪人して貧乏すると、反って、痩狼のように肩肱張って、のし回り、人を見たら噛みつきそうな面を見せる。だから、浪人者は、おれは嫌いなのだ。おのれが同じ浪人者だからと言って、肩を持つ気になれぬのは、あいにくだ。是枝君、私は根性曲りだよ。貧乏したと知ってから、髯も毎朝欠かさず剃って、せめて人並な面だけしようと思いたった男なんだな」


鞍馬天狗シリーズをすごく大雑把に分別すると
・戦前
・戦中
・戦後
となるのですが
(だからすごく大雑把に、って言ったじゃん!)

第二次世界大戦
まさに只中に執筆された作品ではないものの
戦火の煙おさまらぬころの現代日本と
明治維新直後の近代日本を重ね合わせたことが
誰の目にもあきらかな「29.新東京絵図」。

当然そこまでは“戦中”にカテゴライズされるべきで
その後、5編の短編を挟んでからの本作は
“戦後”に属する……はずなのですが

それにしては、上記で引いた箇所といい、
怒涛のエンディング後に置かれたエピローグといい
全体に“明るくない”印象が否めません。

 哀しみに似た心が、鞍馬天狗の胸に射した。いつものことで慣れているつもりだが、やはり死の影に近接するせいか、免れ得ない感情であった。自分の死とも他人の死とも、区別はないのだ。影が、鞍馬天狗の顔立を淋しくした。

(鞍馬天狗竹脇無我が演じる)1974年のTVシリーズにおいて
是枝七郎衛門がずいぶん良い役をあてがってもらって大活躍、と知ったとき
ふうん。と眉がヘの字になったものですが、

本作全般を覆う
初老期に頭の上を去らない鬱、みたいなものを
少なからず払拭しているのが
27歳っつーわりに何も考えてない感満載の、是枝青年の存在。
という功績を鑑みるに
良い扱いをされていてもいいか。と思い直した次第です。