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30.紅梅白梅



初出:1950年少年クラブ春の増刊
参照:初出誌
時代設定:1864?年2月
 「新撰組に追われているのだ。きかれても、だれもこなかったといってくれ。」というなり、地面に身をふせて、草の中をはうようにして、逃げていく...まだ若い武士
 「梁川先生のお宅でお目にかかったことのある」
 (=新撰組が正式名称となったのは1863年9月。1858年に没した梁川星巌を知る“若い武士”が登場するには1年でも早い設定のほうがそれらしいのでは)
 「畑は、冬菜が作ってありました」
 「途中に花屋がありました。先生は、そこで花のついた紅梅と、白梅の枝をたばねたのを買ってきて」


1950年に執筆された、子ども向け作品なのですが
大仏次郎の同ジャンルに特化した研究書
相川美恵子「鞍馬天狗のゆくえ」(未知谷刊)
においてさえスルーされている、という残念な短編。
使命感を持った世捨て浪人は1933年の(注:鞍馬天狗シリーズではない)「青空三羽鴉」以降、一人も登場してこない、とわざわざ表まで使って同書では著者の持論が展開されているのですが、本作に目を通しておられれば「『紅梅白梅』を除いて」と言えたのに! という意味でも残念です……。

鞍馬天狗は物語最後、ゲスト出演のように一瞬顔を出すだけで
実質は少年ふたりのミニ冒険譚、なので
鞍馬天狗シリーズとしてよりも
子ども向け作品のひとつとして
認知してあげるのがいいのかも。

 家の中にはいって、あんどんをつけ、ぬれた着物を着かえました。やはり、健太郎は、さっきの人のことが気になるのでした。
 「見つかったかなあ。あそこの溝の中に倒れていたんだよ。」
 「考えない方がいいよ。知らない人のことだもの。」
 と、壮吉はいいました。


壮吉ww


いわゆる「子ども向け作品」に登場する子どもたちが
“健太郎であること”が無意識下にも義務づけられていた戦前ではなく
1950年作品であることは、興味深いです。


前掲書の最終章で著者は
大仏作品には杉作モデルとでもいうべきキャラクターが
(子ども向け作品に限定したことでなく)存在している、とします。

・弱さと純粋さと無垢のイメージを持ち
・彼/彼女を庇護する「守り人」がついている
・杉作モデルは庇護されるだけでなく「守り人」を癒す力の持ち主でもある

 <杉作モデル>の系譜は、動機が純粋で人間が無欲であれば何をしてもよいという純粋主義や熱血主義を示さず、むしろ、そうした姿勢の持続によって自然と損なわれていきやすい柔らかい、優しい気分といったものの回復を<癒しの力>の発現を通して、繰り返し目指してきたということが言える。あるいは、<杉作モデル>とその物語には、幸福の求め方についての、大佛の姿勢が表れていると見ることができる。強い者にとって弱い者が守られる方向でも、弱い者が鍛錬によって強い者になっていく方向でもなく、強い者が弱い者に導かれる方向に幸福を見たいという姿勢である。
    「鞍馬天狗のゆくえ」

おお。
この見方を踏まえたうえで本作を再読すると
戦後の、大仏次郎の試行錯誤の系譜にしっくりおさまる気が。

つまり、ほかの誰でもない、相川先生にこそ
本作は読んでいただきたい! という結論でよろしいでしょうか。