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26.天狗倒し

初出:1943年週刊朝日
参照:中公全集(7)(1969年9月)
時代設定:1862年8月
 「文久二年の八月二十一日のことであった。」

鞍馬天狗生麦事件にこういう形で登場させる、という
企画そのもので勝ったも同然ですよ!
と個人的に興奮してしまう作品なのですが
まずは落ち着いて整理しましょう。

生麦事件とは、実際に起きた幕末の日英間国際外交問題です
薩摩藩主の大名行列を英国人が横切った
・当時の日本ローカル法においては死に値する罪なので
・お供の薩摩藩士はためらいもなく英国人を斬り捨てた
・ただ、ご承知のとおり日本政府、即ち江戸幕府という時代で
・その江戸幕府の外交方針は、とにかく
 外国政府は刺激しちゃダメの1点張り
薩摩藩の所業はつまり幕府に対するいやがらせとしか思えない

薩摩藩のオフィシャルなアナウンスにいわく、
 犯人は岡野新助という足軽でした
・英国人を斬ったあと行方不明になっているので捜索中でーす(棒
・大久保市蔵(後年の大久保利通)に
 そんなタイミングで会いに行く鞍馬天狗
・彼らの対話が、以下の通りです。
 ちなみに第一声は鞍馬天狗
 薩摩藩の声明文を見てひとこと。

 「これァひどい!」
 「いや、精々探索して、尋ね得次第、届けて出ると、こちらは多少誠意を示しておいたがな。」
 と、市蔵も、にこりとして、
 「これは、もともといない人間じゃ。つかまるはずがない。こちらも探す面倒がなくて、いいよ。」
 「もとより嘘だと判るな。」
 「ああ、わかる。」
 「足軽か?」
 鞍馬天狗は、こう呟いた。
 「無論だとも。士分の者としたら、すぐに底が知れる。」
 市蔵が、こう答えて、うっすりと笑った時、不意と、鞍馬天狗がいい出した。
 「岡野新助。悪くない名だ。大久保さん、これァ私が貰おうよ。」

・つまり、鞍馬天狗=岡野新助を捕まえれば
 江戸幕府は英国に対して犯人逮捕と言うことができる、
 という設定がここに成立
鞍馬天狗の真意は外国と聞けば及び腰な幕府の姿勢が気に入らない
・せめて戦って(=負けて)から逃げることを考えればいいのに
・戦う前から負け犬なのが歯痒いんですよ
・とにかく岡野新助はここにいる、さあどうする。

……という江戸幕末の虚実入り混じった“歴史”を
作者が描いている時期は1943年の日本です。
山本五十六の戦死が4月、
アッツ島玉砕が5月、
学徒出陣が10月。
あと、イタリアがいちヌケるのが9月ですか。
そんな頃ですね。

弱腰外交ケシカラン、もっとやらねばナランのや、
生麦事件のときも金で解決しようとしてバカにされたしっ!
と、作者が激しているなら
それはそれで、立派な戦時下の文学だと思うのですが
大仏次郎ファンだから、という身びいきを引いても
ちょっと、そう単純な視点とは思えないんですよね。

鞍馬天狗が望んだような
(=国家としての日本が堂々と渡り合う)形は
生麦事件では実現しなかった。そのことを作者はもちろん承知している。
そして、第2次世界大戦のおしまいの形も、我々は知っています。
作者はそのことは、この執筆時点では知らない。
はず。
なんですが。

……本当に“戦意高揚のために”この作品を書き続けていたら
かなり早い段階で
これ結局負ける話じゃん、ヤバくね?
と気付くはずじゃないですか。ねえ?

鞍馬天狗の慨嘆は
敗戦を見通した作家の予言だった、と考えるのは
それこそ身びいきに過ぎると思うのですが
少なくとも、言えることは
・複雑なご時世に
・戦おう、戦わねば。と書いてみせて
・その実、読むひとの意識次第で、いかようにも解釈可能な物語に仕上げた

大仏次郎の戦時下文学は、そういうものだったんです。と、
ファンならここは熱く語っていいところでは!