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27.鞍馬の火祭り


初出:1944年毎日新聞
参照:徳間文庫版(1988年10月、解説三國一郎)
時代設定:1865年4月〜10月
 「前の夏、蛤御門の戦争の時」
 (蛤御門の一戦は1864年8月)
 「半年ばかり鞍馬天狗はこの寺に姿を見せませんでした」
 (鞍馬寺の火祭は10月)


生麦事件を扱った連作
26.天狗倒し」と「28.鞍馬天狗敗れず」に挟まれていますが
それらとは時代設定もテイストも違う“いつもの鞍馬天狗もの”です。
執筆時のご時世を示すような記述は

 戦争に出た経験のある人は、いつの間にか道を歩く場合にも普通人とちがう感覚が出来上って、道の行く手を両側面に、知らず識らず、注意を働かしていると申します。それと同じことでしょう。この鞍馬天狗という人物は、絶えず幕府から狙われて待伏せを掛けられた度数など数え切れないと言われたくらいですから、こうして夜道を歩いていても決して注意を怠ってぼんやりしているようなことはなかったはずです。

冒頭のこの一節ぐらい。
時局の逼迫、という意味では本作の執筆時期も変わらないのに
なぜ、本作だけが“ふつうの意味での傑作”になり得たのでしょう。


本作の連載は1944年4月から9月。
作者は1943年11月から44年2月にかけて
戦地視察として東南アジアへ出かけています。
その時の思い出を、戦後
鞍馬天狗と三十年」というエッセイに書いているのですが
現地を案内してくれた軍人が

 ふと、笑顔で私に話しかけて来た。
 「僕は、子供の時分、鞍馬天狗をさかんに読ませて貰いました。鞍馬天狗の大佛さんと、ニコバルで会おうなんて、考えてませんでしたね」
 私こそ、驚いて顔を上げた。少年雑誌に出た鞍馬天狗ならば、「角兵衛獅子」か「山嶽党奇談」であった。
 「そうです。『角兵衛獅子』から読みました。夢中になって次の号を待ったものです」

そして、この大尉との邂逅を記した文章は
次のように結ばれています。

 その後の消息を私は知らない。健在であって欲しいと思う心持は、その時から尾を曳いて今日も残っている。「鞍馬天狗」については、書いた私が、時に心に負目を感じて来た。が、その時は、鞍馬天狗を書いたのも悪くなかった。明日戦死するかも知れぬこのひとの子供の日の思い出と成って残っているなら、と、−−夕日の色を流している印度洋の上を飛びながら考えた。私は、もう、その時、五十歳に成ろうとしていた。

思うに、「11.角兵衛獅子」や「14.山嶽党奇談」のような
あの大尉が子どものころ読んだような
シンプルに面白いものを書いてみよう。
そう思ったんじゃないでしょうか。

いくらでも戦時中要素を入れられるのに
徹底して、そうした“現実”に近い要素は除かれていること。

一度ならず、二度までも
鞍馬天狗をして「ヤラレタ」と思わしめる強敵を登場させて
最後にはみごと勝ってみせていること。

作者の祈りに似た思いを感じられなくもなく……どうでしょうか。