28.鞍馬天狗敗れず
初出:1945年同盟通信社配信(岐阜合同新聞、東奥日報、北日本新聞、佐賀新聞)
参照:未知谷刊単行本(2009年9月、解説内海孝)
時代設定:1863年4月
「幕府が、いよいよ英吉利の要求どおり償金を払うことになったそうではありませんか」
(1863年5月2日、支払いを通達していたにも関わらず延期を告げる。老中格小笠原長行が独断で支払いを決めるのが5月8日)
「26.天狗倒し」エンディングからすぐ続くシーンで幕が開く作品ですが
その「26.天狗倒し」のあとがきで
大仏次郎は以下のように本作についてトボけています。
この小説(引用者注。「天狗倒し」のこと)、私としては、また「鞍馬天狗」としては珍しい終り方をしている。単行本を見ると「第一部了」となっているので第二部を書くつもりがあったらしいが、この一篇(引用者再び注。「鞍馬天狗敗れず」)、どの雑誌に載ったものかさえ、忘れてしまった。
中公全集7巻あとがきより
つまり、作者としてこの「28.鞍馬天狗敗れず」はナカッタコトにしたかった、
という意図が明記されているのです。
また、その意志を裏付けるように、作品の発表から60余年
出版社未知谷の画期的な
「大仏次郎コレクション」第三期セレクション最大のクライマックスとして
2009年に刊行されるまで単行本として世に出たことがなかった
真に“幻の”作品でした。
では、なぜ大仏次郎はこの作品のことを忘れたかったのでしょう。
作品のあらすじを
すごく真面目に紹介すると(って何この但し書き)
・イギリス政府に賠償金を払うことで国際問題は解決しよう、
と政治判断が働くなか
・阿片の密貿易をしている悪徳イギリス人が
生きたまま樽に詰められて横浜港に晒される事件が起きる
・そもそも生麦事件とは
大名行列を横切るという礼を失した行いに原因があったもので
・従来の国内法に照らし合わせ“無礼討ち”にした、と
誰に訊かれても答えるべき。と主張する鞍馬天狗
・百歩譲って賠償金での解決を認めるにしても
言い値を支払ってへこへこするなんてとんでもない
・日本がイギリスに対等に向き合うための“外交材料”として
犯罪者であるイギリス人を現行犯の形で
鞍馬天狗が提示した
・日本の国内法を守らない者の処分を外交カードにして
生麦事件を“自立した国家として”交渉してくれ、
と再三にわたって外交事務方の責任者に談判する鞍馬天狗
・その鞍馬天狗は
生麦事件の実行犯として薩摩藩が適当にでっちあげた(=実話)
人名、岡野新助を名乗っており
・イギリスに対し
「実行犯はこいつです死罪にしましたんでひとつ御勘弁を」
と言いたい幕府側から真剣に狙われている
未知谷本の巻末に詳細な解説を記している、内海孝によると
本作の発表は1945年6月10日、完結は10月6日とのこと。
「終戦日記」と題して刊行されている、当時の大仏次郎の日記から
5月8日 八回分仕上げる。「鞍馬天狗敗れず」という題にした
6月7日 まだ調子が出ぬ
8月31日 最後まで一気に書き上げて了う
などの本書執筆に関するコメントを抜き書いてみせたり
一連の丁寧な仕事にはほとほと感服つかまつるわけですが
一方で大仏次郎がこの作品を幻にしたがった理由、についてはノーコメントです。
大人だな。
まあ、ひねって考える必要もなく
・ほぼ世界の全部を敵国とした戦争の真っ最中で
・戦意高揚ものと見ることができるタイトルの作品を書いて
・そこにはたとえば以下のような一節がある
奴ら、おどかすつもりで大砲ぐらい撃って見せるかも知れぬが、上陸は、よう出来ぬ。乱暴な言いようだが、砲弾だって手持の全部を撃ってしまえば、近くて支那まで積み込みに帰らねばならぬ。つまり大きな戦争をする用意はないということだ。この港ぐらい焼けるかも知れぬが、それも覚悟の上のことと思って、突っ張って頂けたら、奴らも考え直すでしょう。ただ、頭から敵の艦隊を怖れ、戦争になるのを怖れているのでは、軍門に降るのと同じことだ。
・さらにはこんな一節も
「英吉利という国は軍艦を向けて威嚇しに出て来るのだ。つまり清国に対してやったことを、神州日本に対してもやってみせるのだ」
「だから、我々は心配している」
「強硬にやって下さいよ。二千何百年、外夷に犯されることのなかった国だ。日本の神々が、お手前の背後に控えている。局に当たっている者が臆病風に吹かれて一歩事を誤ったら、日本国の歴史の取り返しのつかぬことになるのだ」
「戦争協力」という観点で大仏次郎という作家は
一切、時局におもねった作品を書きませんでした、というのが
しばらく前までの定評でしたが
それは小川和也というひとが
・鞍馬天狗とは何者か―大仏次郎の戦中と戦後(2006)藤原書店
・大佛次郎の「大東亜戦争」(2009)講談社現代新書
という2作で否定してしまいまして。
や、“否定”とはちょっと違うか。
為政者の走狗として戦意発揚に積極的に関与した、
というタイプでないことはあきらかだけど
日本という国家の一員として誰もが当時抱いていた気分
あるいは「同胞への共感」としての愛国心
を、大仏次郎も抱いていた。
その一例として、こういう作品があります、というのが
小川の主張するところです。
上記で引用したような箇所も含めて
作家が時に−いまの基準からすれば−前時代的な・過激な
主張を抱いていたように見えても
それは彼が「戦争の当事者」であって
「傍観者」に終始できなかった、というスタンスを示すだけのこと、
と私は考えます。
だから、大仏次郎自身が「鞍馬天狗敗れず」をなかったことにしたかった
気持ちが理解できない……とは言いません。
言葉尻だけをとらえてナンダカンダ言われるのは
いまのネット社会の専売ではないわけですからね。
発表から64年後、このような複雑な結構を持つ物語が
ついに単行本化されたのは
それだけ社会が成熟した証拠。
と断言できることを、心から望む私ですが……さて?