22.幕末侠勇伝
初出:1936年少年倶楽部
参照:少年小説大系第4巻大佛次郎集(1986年2月)
時代設定:1864年8月
「久坂も寺島も重傷を受けて火中で自害致した」
(蛤御門の戦は1864年8月20日)
「杉坊、大変だ! 起きろよ。戦争だぞ」
「え!」
本作が発表された1936年は2.26事件を受けて
首都・東京市が2月27日から7月16日まで、1年の45%に渡って
戒厳令が宣告されていた年です。
(吉兵衛いうところの)“戦争”の空気が、
少年誌にこのような作品の掲載を要請したのでしょう。
作品リスト上は便宜的に「幕末侠勇伝」としていますが
発表時の掲載題はあくまでも「鞍馬天狗」で、
「幕末侠勇伝」はサブタイトルでした。
実はもう一作、同様の事情を持つ作品があって(「13.剣侠閃光陣」)
そのいずれにも、おそらく作者自身ではなく出版社サイドの意向で
“侠”という文字が使われており
−作者本人が一度もその単語を使用しなかったこととあわせて−
時代の空気を表しているようで、目を惹きます。
鞍馬天狗も、桂小五郎も
作者は一貫して
マッスルでハッスルなイメージ・と対極の
中性的なキャラクターに描いています。
それだけに、タイトルの“侠”という字面に違和感を覚えるわけですが
(なんか自己喧伝臭が含まれてませんかね。気のせい?)
そういわれると、杉作は怖くなるよりも腹が立って来ました。小さい僕を、こんなに大勢でいじめるんだな。そんな卑怯な真似をして恥ずかしくないのか、そう見ると、自分で思ったより怖くないのです。正しいものは、どんな場合にも強いのだ。そうだ、殺されたって僕の方が強いのだ。子供ごころにもこう思うのでした。
ちょ、ちょっと待って。
鞍馬天狗でも桂小五郎でもなく、杉作が発揮しているこれ、
この無邪気で無闇で気恥ずかしい気分。
これこそ“侠”なんじゃ……。
引用部でもわかるとおり
1) 杉作がその“侠気”を発揮
2) 窮地に陥る
3) 救いの手が差し伸べられる
という、少年活躍モノお馴染みの骨格で物語は進みます。
本作が作者の生前、作品集に収められることなく
埋もれた短編であり続けたのは
全編を覆う価値観が“前時代的”だった、と作者が考えていたからでは、と
推測するのですが
いま読み返してみると
侠勇ってぇの、わりと迷惑ですよ?
とメッセージが変質しているあたり、ご愛嬌ではないかと。