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20.江戸日記


初出:1934〜35年新愛知新聞、福岡日日新聞ほか
参照:徳間文庫版上下巻(1989年2月、解説南原幹雄)
時代設定:1866年3〜9月
 「海軍のことは、勝安房が一手でやっておるので」
 (軍艦奉行に勝が再任されるのは1866年)
 「春とは申せ、まだ水の冷たいのはお気の毒じゃ」
 「秋だ。赤蜻蛉がしきりと宙に飛んでいる」


事件を追ううち、背景の巨魁の存在を嗅ぎつける鞍馬天狗
この男の破格の流儀を知らない江戸の敵は気の毒にも
さんざん引きずりまわされる。そして直接対決の場は江戸を離れ、西へ!


新聞連載というスタイルもあって
ちょっと詰め込み過ぎじゃ? というぐらいしかケチのつけようがない長編。
本拠である京都を離れ、彼を知る者が少ない江戸が舞台という設定が効いて
羽根を存分にのばす天狗様の姿が堪能できます。

 「原っぱの真ん中だぞ。ご近所へ遠慮することはない。もっと大きな声を出せ。蚊が鳴くようで聞えぬわい」
 「神妙にしろ」
 「なにか言ったようだな。もっとはっきり申せ、まだ、夜食にありつけぬと見えるな。可哀そうな奴らだ」
 「ええ、かかれ!」
 と、同心らしいのが叫んだ。岡っ引たちは気を呑まれているようだったが、その声に励まされて、じりじりと寄って来た。どうだ、相手は故意に目をつぶっている。ひっそりとして動く気配もない。
 「なんで、うしろへ廻らぬ」
 と、咎めたのは鞍馬天狗だった。
 「目をつぶっていても、草の上を来る足音が聞える」
 こう呟いていたかと思うと、突然に雷の落ちたような声で、
 「停まれ!」
 その一声で、全部の人間がぎょっとして停まったのだから驚く。鞍馬天狗は笑って恵之助の方を振向いた。まずこんなものですよ、というものらしい。
 「おい、皆、もういいから怪我のないうちに引き取れ。俺は気が短いから、いつまでも暢気に相手になって遊んでやるわけには行かん。さあ、帰れ!」


鞍馬天狗の名作には
彼が登場する“時代”を描くことで
執筆当時の時代、引いては現代に通じる人の世の姿があぶり出される系
(18.宗十郎頭巾)(26.天狗倒し)(29.新東京絵図)と
敵役の造形が意表を衝いて複雑で
そいつの“人間”を延々見ていたいと思わせられる系
(11.角兵衛獅子)(27.鞍馬の火祭)(47.地獄太平記)という
2系統があると思うのですが、本作は後者。

だいたいが心やさしい大仏次郎
敵キャラにも感情をこめてしまいがちなので
ニヒルな中にユーモアを、
ドライと見せてウェットな要素も、という具合に
ひとりの敵キャラにどんどん属性が足されていきます。
結果として、エピローグを迎えるころには
主役に匹敵するほど読者にとって“人”に見えることに。

 そう言いながら、鞍馬天狗は、藤吉の姿を求めていて、ついに見当たらなかった。見つかったら、「また会ったな」と、挨拶するところだ。悪人で敵ながら、不思議となつかしい心持のする男である。


そうそう、「不思議となつかしい心持」がするんですよね。
さすが作者、わかってる!