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14.山嶽党奇談


初出:1928〜30年少年倶楽部
参照:朝日文庫版(5)(1981年10月、解説鶴見俊輔)
時代設定:1865年4月
 「空が晴れてさえいれば明るい月の姿が見えるはずの、
  あたたかな四月のある晩のことでした」

 (次作「15.青銅鬼」に「この前の話の山嶽党を退治して」とあるので同年)


18世紀末フランスの山岳派から名称を
19世紀初頭イタリアのカルボナリから秘密結社の組織体系を
それぞれ拝借して、大仏次郎が幕末日本に創造した「山嶽党」。
鞍馬天狗&杉作と彼らの戦いを描いた長編ですが
全作品通じて二度と触れられることすらなかった貴重なシーンが
どうにも気になって仕方がありません。そこで
ちょっとどころか、かなり長くなりますけど
引用しますよ、よござんすか。

 土塀の外からは、晴れた日の市のひびきがどんよりしながら明るく聞こえて来るのです。地面を通る車の音や人の話し声や−−そのなかに、どこか近所に車大工か鍛冶屋か何かあると見え、鉄を打つ槌の音が、
 「とん、かん……とん、かん……とん、かん……」
 と、のどかに聞こえます。知らず識らず鞍馬天狗はそれに耳をすましているのでした。鞍馬天狗がまだおさない子供で父母の膝もとにいたころ、やはり近くに鍛冶屋があって、冬の朝のまだ暗いうち鞍馬天狗が蒲団のぬくみにくるまっているうちから、よく、この音をさせていたのです。鞍馬天狗が思い出したのは、そのころの自分のことです。遠くへだたって、そんなことがいったいあったろうかと思われるくらいに、夢のように遠くなっている少年の日のことです。
 ほかのことにいそがしくなると、とかく人は気がつかなくなってしまうものですが、私たちを日々とりまいているさまざまな音や色の匂いのなかには、私たち人間が生きて行く上に非常にふかい意味を持ったものがあるようです。鞍馬天狗がこの時、耳をかたむけた鍛冶屋の槌の音がちょうどそれで、単調な音でいて、晴れた空にのぼる力強い歌のように聞こえたのです。
 とん、かん……とん、かん……とん、かん……
 正しかれ、強かれと歌っているのです。鉄を打って折りまげる。ゆるまない人間の努力が聞こえるのです。歌の意味は、最後に勝つものは正義だけだということなのです。
 強かれ、正しかれ……
 鞍馬天狗は、少年のような昔の明るい笑顔を見せました。

子どものころの鞍馬天狗
鞍馬天狗の」父母!


野尻清彦くんが生れたのは横浜の閑静な住宅街で
しかも父は単身赴任で不在だった時期長く
年の離れた兄がもっぱら父の代わりを務めていた、
というような作者の伝記を思い出せば
鞍馬天狗の、この、いかにも彼に似つかわしい幼少期の思い出も
まったき創作なんでしょうか。

ご依頼いただけばクライアントのポリシーは不問で
暗殺抹殺等承ります、と営業課目に掲げる山嶽党が
鞍馬天狗をリクルーティングして断られる一方
幕府に営業かけて現場の部長(=近藤勇)には断られるものの
事業部長(=京都所司代)にはおもしろいじゃん?
ちょっと西郷隆盛をヤってみて。と発注したらしく云々、
というのは
いかにも幕末を舞台にした少年少女向け伝奇小説らしい虚構ですが
その虚構をそれらしく成立させるのが
物語にふと現れる“幼いころの鞍馬天狗の思い出”のような細部なのでしょう。

たしかにここには神が宿っとる。そう思うです。