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15.青銅鬼


初出:1931年少年倶楽部
参照:国書刊行会復刻版(1985年1月)
時代設定:1865年7月
 「今、私たちの味方は実にひどい目にあわされている。京都から遠くへ逃げた者は助かったが、そうでなく、ここに残っている者は、ほとんど皆つかまったり斬られたりしてしまっている」
 (禁門の変後と読める記述)
 「梅雨があけて、そろそろ暑くなろうとする時候です」


杉作泳いでるじゃん。
泳げちゃだめじゃん。
というのが本作に対する私個人の感想なんですが
(「11.角兵衛獅子」の設定台無し)
まあ、主人公は間違いなく彼なので
少々のブラフには目をつぶるのが大人の態度というべきでしょう。

 夢中で杉作は、帆柱へ飛びついていました。するすると、まるで猿のように身軽いのでした。主膳が息せききって追い着いて来た時には、もう刀の届かない高い所によじ上っていて悲鳴をあげていたのです。
 「御免なさい、御免なさい」
 「降りて来い」

……謝ってるしな。

大仏次郎海洋冒険小説というジャンルも手がけています。
鞍馬天狗シリーズとその海洋冒険ジャンルとの
唯一のマッシュアップが本作なわけですが
そもそも、なんでそんなジャンルにまで彼は手を伸ばしたのか。


初出1928-29年という作品、
「ごろつき船」の徳間文庫版(1992)解説で
福島行一が1970年時点の大仏次郎本人のことばを紹介しています。

 私は大衆作家として出発した。だから大衆小説の、いろいろのスタイルのものを試みる意志があった。同じようなものを繰返して書いては耻のように思い、始終新しい冒険をしたいと志して来た。
 「ごろつき船」は、真面目でやや謹直な「赤穂浪士」の直ぐ後のものなので、史実や写実の拘束から解きほごして、空想的な性格のものを作ろうと志した。
 日本の大衆小説にはまだない西洋の冒険小説、海洋小説に近いものを打出したかったのである。

杉作という小僧をシリーズに導入して赫々たる成功をおさめたと見るや
(「11.角兵衛獅子」「14.山嶽党奇談」)
早くも新しい冒険に乗り出した、というチャレンジング企画が本作だったわけですね。
多忙だった作家は、必ずしもその初志を貫ききれていませんが
(航海の目的地は北海道松前で、
 物語がその松前に着いたらもう残りが数ページという)
とりあえず、こうした作品も
後年の最高傑作「ゆうれい船」(1957)に至るため必要な冒険だった、
と考えればよろしいんじゃないでしょうか。
そうですね。(←自己完結