ハリセン箕輪ネタから「過去ツイートの検索が可能に」という話を経由して編集という仕事のなくならない感に思いを馳せ(ry
ハリセンボン好きなんで目についたんですが。
ハリセン箕輪交際4年で破局「仕事しか」 - 芸能ニュース : nikkansports.com
前から思っていたんですけど
「初恋人でもあった文筆業の男性(42)」
ってこの肩書さー。
文筆業という、
顕名性と不可分な職業なのに
本人希望でそうしているとしか思えない
無駄な匿名希望感。
この、半笑いを誘うおかしみは
まさにこの文筆業の男性()の
武器ですよねえ。
それにしても弱そうな武器だは。
と多大なるシンパシーを抱かずにはいられません。
そして頭をよぎったのが
ハリセンボンがM-1グランプリ決勝で最下位に終わった、
その翌日
彼がぼそっと投げていたツイートでした。
慰めるのも励ますのも変で、かといって一切触れないのもおかしい気がする。そんな電話をしました。
— せきしろさん (@sekishiro) 2009年12月21日
今回のような芸能ネタの文脈でこそ
取り上げられてしかるべき
僅々43文字だけど、このひとらしい
一種の「作品」じゃないか。
しんみりとした距離感が出ていてね?
そう思うのですが
これ、
ツイッターが過去ツイートの検索も可能に。
って最近言い出してますけど
仮に
箕輪はるかとこの文筆業の男性の関係値を
知識として持っている検索者でも
なんの固有名詞も含まない以上
どう検索しても、
ここにはたどり着けない。よね?
そう気付いたら
ザマぁ
みたいな感想が生まれましたん
(=睡眠不足で気が立っている
思考の途中を省略して
結論だけ書くなら
つまり「編集っていう仕事」は
機械では代替不可ってことじゃね?
媒介者の意志が介在しなければ伝わらない情報は
ビッグブラザーな社会でも存在し得る。
つまり
編集者の存在意義ってのは
検索機能が高度に進化しても、たぶんまだ
ある。
気がする。
というような。
……あ、はい、そういうわけで
淡々と編集のお仕事に戻りますです。