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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

本は「みんなのもの」でいいけれど

出版(売るほう)

永江朗氏のweb連載に
「本は誰のものか」と題された回があり
http://www.sogotosho.daimokuroku.com/?index=hon&date=20090824

果たして知識や知恵の結晶といえる本とはいったい誰のものなのでしょうか。
情報化社会における本とコンピュータをめぐる議論の中で出てきたのは、本を人類が残した知的財産、共通財産として考えるべきではないのかという根源的な問いかけだったのです。

つまり
自著を含めた「本」は私されるべき物ではなく
出版社が権利を云々するのは筋違い、
そうおっしゃっているのかと。

しかしこれは、読み方を間違えると
単純に「私利私欲をむさぼって」
「それを手放そうとしない」出版界、
という話になりかねず、
だとしたら、という妄想を受けて
やや過剰防衛気味の感想が以下のとおり。

六甲山麓を流れているだけでは
その水は共有財産かもしれませんが
デザインされたボトルに詰めて
商品であることを宣言して
流通させることによって、
一企業が権利を主張する
六甲のおいしい水」になる。

ブログに書かれているだけでは
その言説は共有財産かもしれないけれど
デザインされたフォーマットに流し込んで
商品であることを宣言して
流通させれば、やはり
一企業が権利を主張する、
ナニガシという書籍=商品になる。

逆にいえば「それだけ手をかけなければ」
「ただ書くだけでは」ギャラは生じません。

誰かのテキストが人類の共有財産だとしても
そのギャラは「人類」ではなく
○○出版社だったり△△ウェブ運営社だったりが支払う。
それら○○や△△の企業が
ライターをスポンサードするのは
そこから出銭以上の収益をあげるため、ですから
たとえばGoogleブックス
○○さんや△△くんのビジネスを
侵犯する「気がする」ときに
○○さんや△△くんがわーわー騒ぎたくなる気分は
私は理解できるんですが。
(一方でGoogleブックス歓迎の意を表明している、
ポット出版のような立場も当然あっていい、と思う。
……というか、個人的には彼らの解釈のほうがイイ、とも思う)

アメリカでは著作物は公共のものであるべき。ただし著作財産権は認めましょうという思想が主流になってきています。知識や知恵など知的生産物は社会のものでありみんなのものだから、個人や出版社が独占するべきではないというもの。
それに対して近年の日本では、書いた個人や出版社が独占すべきもの、という正反対の考えになっています。そこからはせっかくの本の権利をぽっと出のgoogleなんかに独占されてなるものか、といった感情論しか出てきません。

アナログ書籍が絶版ならぬ
「在庫切れ」になっているものを
Googleに勝手にデジタル化されてしまうと
既得権がオカされちゃう!
Googleとの和解拒否だ!
あるいは参加のうえで全点DBからの削除要請だ!

てな事態が続出していれば
この引用部で危惧されているような
「感情論」の悪しきスパイラルの発露といえるのでしょうが
現時点での出版社の対応はといえば
是々非々という
いたって現実的なもので

それは
本が好きor本を読むのが好き
という人たちで出来ている、たいていの出版社は
自分たちの金儲けもさることながら
自分たちの目がどれだけ利くか
(=この執筆者、面白いでしょ?
=このテキスト、示唆に富んでるよね?)
より広く知ってもらえる魅力には
最終的にはあらがえない、
そういうことじゃないかな、と。

うーん。楽観視しすぎ?