「仕掛けることで売れる」現象についての雑な感想
たとえば
どこそこの本屋さんがPOPを付けたら火が付いて。
とか
その話を聞いた出版社が重版帯にPOPを引用したら
全国的に燃え上がり。
とか
わりと「イイ話」として取り上げられがちで
むろん、明るい話題だし
自分も好きな作家がその対象だったりすると
GJ!
と思うわけですが
ふと気付くと
新古書店にその手の作品が大量に入荷してたりするので
世の中ゆだんたいてきだなあ。と思いますね。
(例1)
「るり姉」大量入荷@新古書店の兆しに↓。初、2、3、16刷を確認したので(全部同じ刷だったらどうしようかと思ったmjd)一回購入された後で売られてきたっぽいところだけが唯一の救いですけど、ああいう光景を見ると「売れてます」ということばを盲目的に喜んでいられた時代もああったねえとお
— unpocketable (@unpocketable) July 28, 2013
(例2)
もっといいますとね、「模倣の殺意」が棚1(ストッカーにはあるんか知らんけど)残して新古書店の店頭からも消えつつあるんです。新刊書店だったらああ返品か、って悲しくなればいいんですけど、新古書店でも行き場を失った在庫の悲しみを表現することばをぼくは持たないす。
— unpocketable (@unpocketable) July 28, 2013
なお、この件について個人的な結論は出ていて
「ほんとうに届けるべき人の数」を、コンテンツプロバイダーたる出版社はそう過たず把握できていた・時代は確かに過去にはあった・と思う・んですけど、ルーティーンで回していくはずの、文庫の部決っていうレベルにおいてさえ、需要予測の眼力が曇っている。というね。
— unpocketable (@unpocketable) July 28, 2013
つまり
・むかしの調子で刷ったって売れない現実を
いいかげん認めようや
版元発の販促POPが好評で、それを受けた取次が大々的に仕掛けた書籍がベストセラーに。みたいな話が某紙読書欄に載ってましたが、あのねえ。と新古書店ユーザーから申し上げたい。その手の本が「売れた形跡がないまま」新古書店の店頭でダブついてる光景を見たうえで語れよかし。
— unpocketable (@unpocketable) November 2, 2013
・構造的な不具合の受け皿として
新古書店がいま果たしている役割を見ず
いたずらに嘆いたり
いたずらに持ち上げたりするのは同罪っすよ
結果としてブラック企業が生き永らえてるって意味じゃ「モンスターユーザー」も「プア充」も同罪じゃ。と思いかけたところで新古書店ユーザーの俺にけっこう大き目のブーメランが / “NEWSポストセブン|プア充拡大 280円牛丼、100円…” http://t.co/lPzwoxuxJ8
— unpocketable (@unpocketable) November 4, 2013
リンク先の記事を読んで思ったのは
出版不況という状況に荷担している、という意味では
・現実を直視しようとしない版元
・同上の新刊書店
・同上の書評子
などと同じだけの罪を
・新古書店ユーザーの俺
も負わにゃーイカンのか。という
ま、いまさらな感慨。
もちろん「モノを定価で買わない奴」が
作り手から唾棄されるのは認識していますけど
・単行本買わずに文庫を待ちます、って言うと
ヤな顔されるんですけど
だったら文庫化しなきゃいいよね?
(=高村薫を見習え)
(=文庫派の俺たちが待ちくたびれるほどのタイムラグ)
・新古書店が昔ながらの古書店と違って
猛烈にイヤがられているのは、
古書店が個人の趣味レベルでの流通だったのに
そこを逸脱して業界全体に影響出るレベルで商業化したから、
だと思っているのですが
本当に新古書店が出版不況の元凶だと思うなら
違法化しちまえよ、いまからでも遅くないよ?
ええ、うん、とくに結論はなくって
・新古書店という流通網が既にエコシステムの中にできてるんだから
それを見ないようにするのではなく
・新刊として提示する「定価」が果たして
世情に見合っているのか、を考え直すべきだし
・電子書籍の意外な効能は
値付けの主導権を作り手が
(一部とはいえ)取り戻せるところにあるんじゃ
という、持ちネタに終始しちまったw