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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

「知っている」と「知らない」の差


今野敏「安積班」シリーズを
なにかの義務のように、4日で10冊読んで思ったことは

・そういうふうに読むもんじゃない
・テレビ版見たこと無いけど佐々木蔵之介はナイスキャスティング
・その他のキャスティングについてはノーコメント
・でも須田=塚地は悪くないかも、と徐々に思い始めた
・作家本人のテレビ版への距離感は、かなり幸福な部類
・シリーズものの宿命で中だるみしている巻もありますな

さすがにくだびれたので
気分転換に糸井重里南伸坊の対談「黄昏」を読むことに。

対談本が好きなのは
ときとして、登場人物の思いもよらない引き出しが
目の前にニュッと現れることがあるからなのですが
ま、このふたりの場合は終始、意識的にダラッとしているので
これといって新たな発見も無く……。

ネットに抄録版が連載されていて
ちょうどその部分を読んだときにも感心したくだりが


糸井 で、うちの社員のひとりが、ヘレン・ケラーのことをぜんぜん知らなくて、笑いものになってたんだよ。「なんか、戦争系の人でしたっけ?」とか言ってるからさ。
「戦争系」(笑)。そりゃ、ナイチンゲールだ。
糸井 あげく、「ヘレン・ケラー? ケレン・ヘラー?」とか言ってるからさ、笑われるわけよ、常識の欠けた人としてさ。
うん(笑)。
糸井 けどね、オレは、思うわけ。みんな、ヘレン・ケラーについて、いったいなにを知ってるんだと。笑ってる人も、笑われてる人も、知ってることにそれほど違いはないだろうと。
うん?
糸井 だからさ、要するに、みんながヘレン・ケラーについて知ってるのは、「三重苦だったんだけど、それを乗り越えてがんばった偉い人です」と。そのくらいのことでしょう?
うん。
糸井 そこまでを知ってる人っていうのはね、そこまでしか知らない人でもあるわけ。そういう人がね、ただそれだけの知識から「知ってる」という立場に立って、「知らない」人を笑い飛ばしていいものかと。

<ただそれだけの知識から「知ってる」という立場に立って>
<「知らない」人を笑い飛ば>す行為って
ヘレン・ケラーのような固有名詞に限定されたことではなく
なにかとやりがちだと思うのですが
(なんたらバッシング騒動なんて全てがソレだわね)

知っているワタシと
知らないアナタの違いなど、ほぼ無意味に等しい。

という認識から出てくるのは
侮蔑ではなく、疑問符であるべきで
「なんでそんなことも知らないの?」と言ってオシマイ。ではなく
私がいま持っている知識をリセットして
知らないひとの目でその物事を捉えるとしたら、
どうなる? というシミュレーションのトリガーとして
「知らないひと」の存在をありがたく受け入れるべきなのでしょう。

……と考えてくると、たとえば
上司とはかくあるべき。みたいなビジネス書で
くだくだしく述べられていることに近い含蓄を
このバカっ話対談からも掬いとることはできるわけですね。

以上、アホアホ言うほうがアホやって先生も言うとったわ、アホー。の巻。
(おまえ今またアホ言うたやんけ、アホー) ← 関西の子どもたちの日常風景