編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

カトケンって呼称で思い出すのは高校の生活指導の先生なんですが

法定速度40kmっていう一般道を
60kmで走ってたら
「はい速度超過20km、
 罰金1まん2せんえんね」
って言われたとしましょうよ。

えっ。

・まさかあなたは
 40km制限で60km出したことないんですか
・ほかのひとではなく何故
 ぼくだけ捕まえるんですか
 (「ほかにもいっぱいおるやんか!」)
・むしろ制限40kmっていう設定が間違っていて
 60kmにすべきじゃないですか
・流れに乗って走らせないと
 かえって危険じゃないですか

etc., etc.
抗弁しても
まあ無理なものですけど
概して腑に落ちません。
いえ、念のために申し上げますが
架空の話ですよ。

現存する規定に対して
「それは守る必要がない」
もうちょっと穏当な表現にすると
「罰則の適用に際して
 バッファがあるんですよね?」
という、暗黙の了解をアテにして
それに粛々と従っていたら
ある時、突然

オマエ破ったナー

って責められる
……何の話をしているのかというと
先日、プロ野球で
・危険球投球として
 投手は退場させられたけど
・実は打者の体に当たっておらず
・打者側チームまるもうけ
っていうシーンがあって
それに関するケンケンゴウゴウが
個人的に共感できないんです。


も ち ろ ん
満場一致で称えられる
騎士道精神に照らせば
 当たってもいないのに
 当たった! 痛い!
とかなんとか、マリーシア
日本人のよく知る野球のココロと
“合わない”のは理解できるし
激昂するファン心理も
誤審改むべしという清廉な皆様の
ご主張もわかりますよ?

だけど
リトルリーグなり
全国高等学校野球選手権なり
その延長上のNPBなり
勝敗にこだわるスポーツ全般において
 当たってもいないのに
 当たった! 痛い!
と主張して
隙あらば塁を稼ぐ行為は
戦いの場のコンセプトとして
むしろ奨励されていることでは?

つまり
ぼくが当のナントカ選手だったとしたら
え? 60kmで走ってたら
切符きられるんですか?
って顔になると
思わないではいられない。

……ちなみに
蛇足を加えるなら
・だから俺は元来
 「スポーツっていいよね」とは
 思えない派
・というか
 「スポーツってそういうもんですよね」
 と思っている派
・突然キレイゴトを言い出す人々に対して
 「驚くよねー」
 と思う派、といいつつ
・実は「そういうもんよねー人間って」
 と思ってもいる派

とかそんな言い方をしてると
生き方に熱がないよって
修造に言われるので

しーっ。

今日の日記の内容はどうか
ご内聞にオナシャス。

(以下蛇足)
 山本夏彦
 人には2種類ある、
 「つかまえる人」と「つかまる人」。
 とかつていっていましたが
 今回の件なんか、驚くほどみなさんが
 「つかまえる人」なことにですね
 おおげさにいえば戦慄しますね。
 くどいようですが
 「だから見逃せ」と言う気はなく
 粛々とお縄をちょうだいしやすんですがね。
 というか、当該野球選手を含め
 ぼくらはその時まで
 自分がどっちかというと
 「つかまえる人」だと思っていて
 それが一変するから
 途方に暮れるんですね。