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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

結城昌治の既読タイトルが30冊になった模様です。

エントリ名が伝聞チックなのは
1冊ずつの記憶があいまいだから。

いや、自分の物語記憶力が衰えていることを否定するつもりはさらさらありませんが
わりと同工異曲なお話の多いひとでも
1冊ずつの区別がつけやすい作家と
そうでない作家がいるんですよ。

結城昌治が私のなかの「区別つかない」極北)
(同工異曲言うな!)

たとえばいちばん最近(3分ほど前)読み終えた
「死者たちの夜」


キーワード的には、これは
・短編集
・紺野弁護士シリーズの1
・ミステリとかサスペンスの風味を交えつつ
・プリミティブなハードボイルド
・ミステリ風味ではあっても謎解きを重視してない
・つまり事件が起きます、フーダニットとかハウとかホワイとかじゃない
・何が起きたんや。という疑問符を一生懸命描いている、ような
・全編を通じて漂う「厭世感」


収載されている作品を
かたっぱしからあらすじと一行感想メモっていく
とかいう作業をやらないもので
(あれ他人がやってくれるのって本当に便利)


たぶん明日になっても私の読後感として残ってるのは
最後の「やー厭世的な作品集だったなあ」
ということだと思われます。


ただ、その
「こんな世の中で生きていかねばならない自分に
 ほとほとうんざりしている」
的なニュアンスは
結城昌治の作品に共通したものかもしれません。


たとえば「刑事」という
売る気ないだろオマエw という短編連作集があるんですが


人の一生におけるアンコントローラブルな何か
(性分とか“あらかじめ書かれていた運命”とか)との戦いを、
刑事モノというキャラ立て明快な舞台で描く。
そういう意味では
藤原審爾の作品群との類似性が考えられなくもない。

善悪のバランスシートの帳尻を
わ ざ と あわせないまま
お話を完結しちゃうところとかも、似てるといえば似てる。


ただ、読み進むうちに気付くことなんですが
藤原審爾に比べると
(世の中の理不尽を突き放せない痛みの量)が
結城昌治のほうが圧倒的に多い気がします。


藤原審爾結城昌治もご本人が「大病を患って死の淵を覗いた」経歴あって
その体験由来なのかと妄想してしまうぐらい
ドライな手付きで
作品中の登場人物を扱っていくのですが
物語のエンディングで主人公がどんな目にあうか。
ここがほぼ正反対に、違う。
いや、当人にとっては悲劇としか言いようがない、
という意味では共通しているのですが

前者では作中人物はぽーんと突き放されちゃうのに対し、
後者では作者と一緒になって
主人公は物語世界に沈殿していく。


藤原作品がカメラ引いて終るとすれば、
結城作品は人物の表情アップで終る。
そんな感じ。



だから、なんですかね。
藤原審爾作品の読後感がたいてい
「わーここで置いていかれるのかーマジでー」
と、いっそすがすがしいのに対して
結城昌治の場合は
なんか内にこもっちゃう。
「……」
往々にして、ことばが出ませんね。
(そうか、だから作品単位での区別がつかないのか)

ええ、藤原も結城も
もちろん未読作品がまだたくさん残っているので
じっくり味わいたいと思うのでした。
願わくば、しばらくの間は
文庫版全集とか出ないようにね!