21.御存知鞍馬天狗
初出:1936〜37年オール讀物
参照:朝日文庫版(9)(1981年11月、解説小林司・東山あかね)
時代設定:1865年6〜7月
「前の年の夏、蛤御門の戦に敗れて桂も乞食に身をやつして亡命したのだが」
(蛤御門の戦いは1864年)
「ただでさえ暗い夜道に、やがて梅雨が来ようという季節だから」
「もう、すっかり夏だ。どこを見ても青い」
年譜的には
「ドレフュス事件」(1930)でノンフィクション小説を
「白い姉」(1931)で現代小説を
「霧笛」(1933)で明治開化期ものというこの作家独自のジャンルを
次々に手掛け、完全に作家として脂がのりきっていた時期の作品です。
近藤勇っぽくならないよう苦心の跡がみられる見廻組佐々木只三郎、
悪役の代名詞として作者が多用した龍造寺浪右衛門、
峰不二子ばりにお色気部門を担当すると思いきや
とくにサービスしない(!)壬生のお粂、
中盤にちょっと出てくるだけながら
味がある貧乏長屋連中。
登場するキャラクターの多さもシリーズ有数ですが
丹念に地名が示されていることでも別格です。
六地蔵、三宝院、日野、
小倉山、五条坂、滑石峠、
将軍塚、稚児ヶ池、六波羅寺、などなど
地名を追いながら読むのもよろしい。
要するに
初期に横溢した伝奇色の残滓が
中期の筆力で描かれているのを気楽に読む中編、といっていいかと。
それにしても、鞍馬天狗の寝顔を見まもって吉兵衛が驚くのは、少しもやつれたような影さえ見えないことだ。若い! 起きて話しているときは例のように颯爽として、時によっては吉兵衛などは鼻面を持ってひきずりまわされたように右へ左へうろうろさせられるくらいなのだが、−−このひとの言うこと、することは妙に明るくて気持がよかったが、それも起きている間は気を張って意識的にやっていると見て見られぬこともないのだが、こうして睡っているのを見てやはり同じ心持で眺められるのは、この男に惚れ込んでからもうかなり長い吉兵衛のような者まで、また新しく惚れぼれと見まもるくらいだった。長い睫毛も美しい。皮膚なども久しく浪人暮しをして来たひととも思われぬ。
べ、べつに腐の方面にアピールするつもりで書いたんぢゃないんだからねっ
(本当に申し訳ありません)
(でも引用は原文ママです)