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3.女郎蜘蛛


初出:1924年ポケット
参照:朝日文庫版(1)(1981年12月、解説福島行一)
時代設定:1863年7月
 「その後、新撰組の近藤はどうしている」
 (結成間もない新撰組のイメージと「1.鬼面の老女」からの整合性を図って1863年)
 「朝夕などの空の冴えた具合は七月の末とも思えない」


ご存じかどうか、本作書いた頃の大仏次郎って
  ・一高から帝大法学部を卒業
  ・外務省勤務
  ・ダブルワークで女子校の先生やってて
  ・奥さんは美人女優
  ・お父さんは三菱系日本郵船の正社員
  ・しかも本人は長身イケメン
という華々しい経歴の持ち主なんですよね。
鼻もちならない! 特に女優と結婚してるあたり!


一方、本作ヒロイン八丁礫のお喜代の経歴は唐突にも

 ものごころ付くころ、お喜代は漂泊の山窩の群に連れられて、峠を越えたり、湖の岸を歩いたりしていた。古い寺の縁の下で寝たこともある。夏などは、こんもり茂った森の中に泊った。暁け方目を開けて、苔のむした太い木立の間から真白に雪を頂いた山脈の走っている姿を眺めて、子供心にもその壮観に打たれたこともあった。
 その漂泊の群の中に、お喜代の父と呼んでいる男がいた。他の仲間の者はこの男を雷神の親分といっていた。額に大きく黝んだ刀の創跡のある、見るから獰猛な面がまえの男だったが、不思議にお喜代には優しい父であった。


こんな感じ。
長い被差別の歴史を持つクラスタ
“恵まれた”境遇の新人作家が手慰みに書いた小説に
登場させちゃってる感が
ディレッタントな作者の、一時的興味の所産なのだとしたら
やらかした系トピックとして
ツイッターで拡散されてまとめスレも複数立って
それがポータルニュースに転載されて大バッシング。
(や、いまの時代なら、ですよ)
となりそうなものですが
現実には文壇の内からも、外からも
大仏次郎は終始、その人柄を敬愛され続けました。


理由はシンプルです。


1)一例として山窩についていえば
 ほんの一瞬興味を持っていたにすぎなかった・わけではないこと
2)恵まれてるっていうけど実際は生活費を稼ぐため
 必死で大衆小説を量産していた・その雰囲気が
 作品からけっこう露骨に出ていた
3)所詮は大衆小説作家、という侮りと無縁ではいられなかった。
 たとえば晩年のある時、
 さしも温厚な彼が腹にすえかねることがあったというのですが
 何をしたかというと“庭に出て行って重い石を持ち上げた”んですって。
 どうだい、みんなと同じぐらいにワイルドだろ? ←


つまり“向う側のひと”というよりは
あくまでも“こっち側のひと”臭がたぶん先天的にあって、
それは結局消えることがなかった。


そしてお喜代の出自にとりあげた山窩
再度「31.海道記」に登場し
彼らの遠縁ともいえる山伏も「27.鞍馬の火祭り」に登場
……とかそんなこと言い出したら
そもそも天狗といい、泥棒といい、角兵衛獅子といい、
シリーズ通じて活躍する主人公たちは
すべて一般の世の“外に立っている”存在なのでした。


作家の視座は
いつもアウトローの中にあり
彼らを描く手つきも
決して興味本位のものなどではない、
そのことを読者こそがよく知っていたのです。


……でもイケメン作家と美人女優かあ。ふーん。(=うらやましすぐる