「こんな××見たことない」的なフレーズにもにょる日々
自分のツイートなんで遠慮なく引用しますが
今年の2月某日、某紙朝刊全5段広告を見て
それまでなんとなく控えていた感想が噴出しちゃった(イヤン
ときの模様がこちら。
「ジェノサイド」をしのぐ「グレイヴディッガー」。って宣伝文句としてのモラルを逸脱してんじゃという思いが離れない(全5段を見て遂に告白)。(〜をしのぐ)って書くことで、時系列的に「グレイヴ」のほうが後に書かれた? 勘違いを購入者が持ってもその責任は負わない、と言ってるようで。
最新作に「匹敵する」著者のルーツ、という言い回しが迂遠なのはわかるけど、でもさー過去作に(しのがれる)最新作って何なんだお。
講談社文庫版の「グレイヴディッガー」持ち、かつあれだけ評価の高い「ジェノサイド」が文庫化されるまで3年ですか、3年待てばいいんですか。な文庫派として、角川文庫が前者を推す際に安易に採用した惹句に対する違和感をあらためて申し上げた次第であります草々 不一。
過去最も文庫化まで待った作品、という記憶で明瞭なのは有川浩「空の中」で。SIGHT別冊で大森望が北上次郎に推している様子を見てから文庫に入るまで4年……あれ、4年なら「孤宿の人」4年半のほうが長いぞ。ええ、つまり、文庫派っつーのはそれぐらいにはテンションが持続するのだ。
文庫1冊の値段500〜700円が「作品にとっての適正価格」とは思わない。たぶん2000円ぐらいが順当な(作家へ示す敬意の価格)。つまり(面白いという評判を耳にするや否や単行本で購入して語る層を横目に見て歯がみする)状態に値付けするなら、この差額の千数百円が相当。って何この計算。
そうか、旧作にしのがれる新作を待っている文庫派に失礼でしょそんな言い方謝んなさいよぅ。と思いそうになったけど、そういうハズカシメを受けるのも文庫という廉価版を待つ身ゆえ、と思えば恥辱に耐えられるんでござる。も、もっとはずかしめて。でござる。
なんの話かというと
この一連のツイートで「どうなのそれ」と私が思った版元が
さいきんまた、
別の作家の別の作品で
似たようなニュアンスのPR展開をしていて
それがなあ、という話。
水戸黄門といえば大仏次郎の昭和10年作品も実はそこそこリーダブルなんですよ? 最新某作品が「こんな水戸黄門はいままでなかった」と言っているのを見るたび若干私の目がひややかになるのはそういう……おや、誰か来たようだ。
これ、今朝のツイートなんですけど
……いいんですよ、
新規性あふれる傑作なんだとしましょうよ、
話題になった前作も実はまだ(文庫化されたっつーのに)読めていないのですが
たぶん面白いんだろうと思う。そこを疑う必要はない。
だけど、自分の優位を誇るのに
何かと比較して、それより上
っていう言い回しをなぜ使うんか。
「ジェノサイド」をしのぐ、にせよ
「こんな××はいままでなかった」、にせよ
それは作品の受け取り側が言うセリフであって
送り手が言うのは、自らの何かを失うことだと思うんですよ。
もちろんこれは感覚の問題ですから
“全俺が泣いた”の延長線上ですよHaHaHaとおっしゃるのなら
なるほどですねー
とお答えするつもりはあるんですけどね。