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編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

こるしかon wire


<日本雑誌協会>ネットの雑誌有料閲覧、サービス中止を要請


日本雑誌協会は8日、インターネット上で雑誌を有料で閲覧できる会員制サービス「コルシカ」を7日にスタートさせたエニグモ(東京都渋谷区=須田将啓、田中禎人共同社長)に対し、著作権侵害にあたるとして、サービスの中止を求めた。「コルシカ」は、書店と同じ料金を払うと、全文をパソコン画面上で読める。雑誌協会は「出版社や著作権者に許諾なしにスキャンして、全文を閲覧できるのは著作権侵害だ」と話している。

昨日、業界関係者の間で騒然となっていたこの件
アバウトに「著作権に抵触」云々な記事ばかり多いなか
唯一、スラッシュドット・ジャパンが端的に指摘していましたね。

普通の雑誌販売サイトと異なるのが「(正規の価格で)雑誌を購入するとその雑誌をスキャンしたデジタルデータが専用ビューワで閲覧可能になる」という点。(中略)ユーザーは実際に雑誌を購入しており、また配送料を支払うことでその雑誌の現物を手元に置くこともできるので合法にも見えるのだが、送信可能化権や複製権を侵害している可能性があり、その先行きは怪しい。

実際これ、出版著作権解釈のかなり初歩的な部分でアウトだと思うわけです。

サービス開始前に弁護士に諮って(るよね?)かつなお
「イケる!」という判断になぜ至れたものか、
むしろそのエニグモ内のプロセスに興味が。

さらにいえば
「雑誌データのデジタル化」というコンセプトが目的化するあまり
“欲しいところだけ、欲しい”とか
“雑誌本体いらないから安く買いたい”とか
“PC立ち上げる手間が面倒”とか
“雑誌の中身は買わない限りわかんないのかなーんだ”とか
微妙に顧客ニーズから逸れたサービス
になってしまっている気も。

……というところで、映画の話に脱線。

1974年8月7日、フランスの若き大道芸人フィリップ・プティが、当時世界一高いビルであったニューヨークのワールド・トレード・センターのツインタワーに鋼鉄のワイヤー(綱)を渡して、その上を綱渡りで歩いた。高さ411m、地上110階という巨大な2つの建物の間にワイヤーを渡して、その上を歩いたのだ。 命綱はない。これに気づいた警官が止めさせようと駆けつけたが、プティはそのまま45分もの間、ワイヤーの上で優雅に踊ったり、寝そべったりしてみせた。その後、自ら逮捕され刑務所に入れられたが、最終的に釈放された。許可なく綱渡りをするという違法な行為でありながら、プティのまるで夢を見たかのような綱渡りを見た当時の人々は、この事件を「今世紀最大の犯罪芸術」と呼んだのだった。

2008年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞を獲得した作品、
「マン・オン・ワイヤー」ようやく見ました。

前評判では
クワダテなるか。までの緊張感がまるでミッション・インポッシブル。
というあたりが
いちばん耳にスムーズに入ってきていた賞賛だったのですが
個人的な感動はちょっと違うポイントにありました。

なぜあんなことをしたのか?ってすぐアメリカ人は聞いてくるけど
理由なんてないのにね。
ほんと、ああいうところ、アメリカっぽいよなー。
とフランス人の主人公フィリップが語るシーンがあるのですが
……あんたそれ、アメリカ人だからじゃなくて“ふつう”の反応だよ!

裏を返せば、主人公フィリップ・プティにとって
綱渡りという行為が芸術表現以外の何物でもない、
ということ、なんですね。

小説家になぜあなたは書くのか、とか
音楽家に、
画家に、
etc., etc. と同じことで
彼らは「衝動を開陳しようとすると、こうなっちゃう」
と答えるしかない。

綱渡りってww と、終始ナナメ45度に見ていた私も
フィリップの上記セリフを聞いたとき、ようやく
なるほど、これはまぎれもなく芸術家のドキュメンタリーなんだな、
と理解したのでした。

そして、地上411mでの綱渡りを成功させて
彼フィリップがセレブの仲間入りを果たすと
長年の友人関係や恋愛関係が壊れてしまった、というエピソードに
淡々と続きます。

快挙を支えてきた最大の友人が
あらためてまぶたをおさえるシーンは
純然たる懐旧の情のみではなく
“失われた友情”という欠落感に襲われてもいることは明らかで
(むろん、というべきか、フィリップ本人には
そういうウェットな感情の発露はないという)

あいつは芸術家で俺はそのサポーター、という彼我の違いが
まざまざと示されて、ほとんど残酷な感じ。
唯一にして無二の救いは
私も含めて観客の大半が
芸術家ではなく、そのサポーター側なところ、ですね。

あらためて芸術家ってすげー&
めーわくー。
と思った次第、というところで再び
お騒がせ「コルシカ」の話に戻すと

「雑誌の作り手」たちは
まぎれもなく芸術のサポーターたらん、としている人々で
その根底にあるのは
芸術家のやむにやまれぬ思い、をとにかく世にしらしめたい、
というところにある(はずな)のです。

出版社との“面倒な権利調整”をすっとばして
サービスインした「コルシカ」から
この手法でなければ実現しない
−という、やむにやまれぬ思いが発信されていれば

出版社から非難の声だけがあがるのではなく
 あ、そのビジネスモデル面白いから
 ウチの雑誌について、権利を許諾するから一緒にやる?
というリアクションも出てきたはずだけどなー。
というわけで
2009年でいちばん“惜しい!”サービス大賞
に推薦いたしたく。