鞍馬天狗の年表作成が楽しすぎて困る件
読者歴30数年という、
自分史上最長・最古の愛を
鞍馬天狗というおじさんに抱いている私ですが
ここ数週間で、急激に愛が加速してるんです。
理由は……とくにないね(キリッ
作品名 | 根拠 | 推定年月 |
---|---|---|
銀煙管 | その後まもなく、西郷吉之助が国へ帰って 月照と薩摩潟に投身した |
1858年6月 |
鬼面の老女 | 戌三月 |
1862年3月 |
天狗倒し | 文久二年の八月二十一日のことであった。 |
1862年8月 |
雪の雲母坂 | 芹沢は卑怯にもこの場に出て来なかった |
1863年3?月 |
夕立の武士 | 1863年3月 | |
雁のたより | 京にいては身辺が危うくなって江戸にのがれてきた |
1863?年4月〜6月 |
女郎蜘蛛 | 朝夕などの空の冴えた具合は七月の末とも思えない |
1863年7月 |
女人地獄 | 名月までにはまだ幾日か間はあったが、初秋らしく |
1863年9月 |
江戸日記 | 「西郷さん、あんたはもう死んだ人じゃ。幽霊でもない 限り、こうして出て来られるはずのものでない」 |
1864?年 |
天狗廻状 | 長州藩は去年の八月から留守居の数人の外は 京都へ出入りするのを禁じられていた |
1864年 |
御存知鞍馬天狗 | ただでさえ暗い夜道に、やがて梅雨が来ようという 季節だから |
1864年5月 |
宗十郎頭巾 | 1864年6月 | |
地獄の門 | 前の年の夏の蛤御門の一戦で...「京はよいところだが、 冬の底冷えと、これからの暑気が難物だ |
1864年7月 |
影法師 | 「いったい、今日は幾日だと思っていなさる」 「八月の二十日だろう」 |
1864年8月 |
紅梅白梅 | 1865?年2?月 | |
鞍馬の火祭り | 1865年3月 | |
角兵衛獅子 | ついおとといの晩は、壬生のお屋敷へ、そいつが、 たった一人で斬り込んだというぜ |
1865年? |
山岳党奇談 | 1865年? | |
黒い手型 | 近ごろは長州も薩州もご公儀のご威勢があるから、 以前より控え目になって |
1865年? |
西海道中記 | 「薩州との密約の草案が、こちらで話が出来たので」 |
1865年10?月 |
淀の川舟 | 京に時雨の降る季節である |
1865?年11月 |
女郎蜘蛛 | 1866年?3月 | |
夜の客 | 1866年3月 | |
地獄太平記 | 外人居留地がある横浜の関内 |
1866年4月 |
刺青 | えいじゃないか |
1867年7月 |
西国道中記 | 将軍が先月二十日に大阪で薨去して |
1866年8月 |
鬘下地 | 冬枯れの山道を登って行く |
1867年11月 |
香匂の秘密 | 京を出て約半月 |
1867年12月 |
御用盗異聞 | 年内といっても、師走も二十日を過ぎたいま |
1867年12月 |
一夜の出来事 | この慶應三年十二月の江戸では |
1867年12月 |
小鳥を飼う武士 | この一月十二日の朝も、昨日と同じく空は 凍てた霧に曇って |
1868年1月 |
風とともに | 一旦京をひき払って大阪へ退いた幕府の軍が続々と、 京へ向って上って来る |
1868年1月 |
薩摩の使者 | 「西郷はもう駿府に出て来ているというじゃないか?」 |
1868年3月 |
江戸の夕映 | 江戸城の明け渡しがすみ、西軍が御府内に はいってからというもの |
1868年4月 |
鞍馬天狗余燼 | 前の年(慶應三年)の十一月頃 |
1868年7月 |
拾い上げた女 | 明治二年の晩春の夜になってからのことである |
1869年5月? |
新東京絵図 | 江戸が東京と改められたのが、前の年、 明治元年の今時分、七月のことだった |
1869年7月 |
海道記 | 秋晴れの雲一つない空の下に |
1869年9月? |
全部でシリーズは47作品あって
そのうちの既読分だけをとりあえずまとめた、というレベルなので
まだまだアップデート要なんですけど
・いちばん古い時代、とした「銀煙管」は
あきらかに作家として未熟なデビュー2作目でして
最初の自分の設定を忘れてつい書いちゃった系ですたぶん
・根拠が空欄になっている作品も“それっぽい”フレーズが無い、というだけで
一応の根拠はあります。「宗十郎頭巾」だと
沖田総司が出てくる、屯所がまだ壬生っぽい、梅雨時という描写がある云々
・だがこの楽しさは何だ。
あと、この「俺だけが楽しんでる」感。
強制されないでやる自由研究ってこんなに面白いのか。
ちくしょう小学生がうらやましいぜ
あと、トピックそのものとはまるで関係ないんですけど、
はてダで表組つくるのって大変すぎますよねえ?