24.西国道中記
初出:1941年週刊朝日
参照:中公決定版(11)(1951年11月)
時代設定:1866年8月
「将軍が先月二十日に大阪で薨去して」
(徳川家茂は1866年7月20日、大阪で病没)
フィクションではもっぱらイイ感じに描かれることが多い勝海舟ですが
(というか佐々木譲が悪く書きすぎなんじゃww)
大仏次郎も本作を含め、なかなか魅力的な人物として物語に登場させています。
「公儀の家来には勝を斬れぬよ。そんな意気地があったら、天下ももう少しどうにか成っていたろう。幕臣という奴はな、勝が隠居でぴいぴいしている時は悪口をいうが、一度役が付くと、蔭では何か申しておっても、まともにやっつけに来るようなことはせぬものだ。おとなしく馴らされたものよ。」
今度の仕事はボディガード。
新撰組、幕府内部、反幕勢力、なにしろ多方面に敵が多い人物だから
まったく息が抜けないぜ。
だが問題はそんなところにはなかった。
当人によるボディガード拒否!
そ、それはフィクションの世界でよくある死亡フラグですよ、
と食い下がる俺だったが……。
みたいな。(ずいぶん下世話な紹介で申し訳ありません
勝海舟をとりあげたフィクションといえば
昨今では坂口安吾「開化捕物帖」が筆頭にあがるのでしょうが(そうなの?)
今日の海舟像を創り上げたのが子母澤寛の諸作(と本人の「氷川清話」)だとしても
大仏次郎が海舟を描いたのが
かなり早い時期であることはたしかです。
鞍馬天狗シリーズでは初期に該当する
「8.香りの秘密」「9.御用盗異聞」あたりから
本作を含む中期の「25.薩摩の使者」「29.新東京絵図」
にまで、複数回登場するのですが
そのいずれにおいても、
作家オリジナルのエピソードを用意して
どこかで聞いたようなネタを使おうとはしません。
それこそが、大仏次郎が終生背負った
“エンターテイメント作家”としての自負、あるいは
矜持だったからです(ドヤ