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20年目に黄金を抱いて翔べ

高村薫原作の映像化って
宮部みゆきのそれと同様
あまり幸せな結果をもたらしていないと思うのですが
(宮部せんせについてはついにその歴史が
 ビョン・ヨンジュ版「火車」で終止符を打った
 ……ってことに
 作品未見のまま結論してみた私ですが)

そこで井筒和幸の手による
「黄金を抱いて翔べ」
ですよ。

もうすぐ公開されてしまうので
見ないうちになんか言うなら
今しかない! あわてて原作を引っ張り出してきました。
(この項なんか変ですか。そうですか。……そう?)


1990年作品とはいえ
時代に拠った記述の多い作家ではないので
そんなに古くなってないんじゃないかねー。
という予見ありつつの
何度目かの読書でしたが

映画ではじめて小説の存在を知った若者が
うっかり手にとって気になるところがあるとすれば

・携帯電話が無いってオカシクない?
・犯行予告がPC-VANってどこそれ?
・大阪の夏が格別暑いってどういうこと?

  日本全国が熱帯化してしまった21世紀の今日では
  納得しづらい最後の要素ですが
  盆地である京都の夏は、とか
  瀬戸内の凪は、とかそういう表現と同様
  ブンガク的修辞として
  20年前には成立していた気がします
  まあ作者を含めた「大阪の人間」の
  思い込みだった説も否めないけど。

このぐらいの古びた要素を気にしなければ
ふつうに読める作品かしら。どどどどうだろう?
というのが
今回あらためて気になったことで
つまり、なんだかんだ言って
決して読みやすい作品ではない、ですよね。

  「李歐」はわかりやすいと思うんで
  一部ファンのニーズにお応えしやすいのは
  むしろあっちですあっちです!
  

李歐 (講談社文庫)

李歐 (講談社文庫)

そもそも
高村薫を評するときに必ず言われる
読みづらいの正体って何なんでしょう。

文体ですか
語彙ですか
説明が往々にして過剰だからですか
情報が圧縮されて詰め込まれているぶん
読みながら解凍しないといけないからですか
……
個人的には、これらに加えて
「酔ってないひとがこっちの目をまっすぐ見て
 ガチで語ってくる」感じが
「読みづらい」というより
「絡みづらい」んじゃないか。

たしかにね、
高村薫の描く世界においては
登場人物ひとりひとりが
うるさいぐらいに(!)
それぞれの個を背負って登場してきます。

書き割り的アクション、リアクションが
徹底して排除されるのは
この作家が

 人はそれぞれ違う
 自分の基準で相手を量れると思うのは
 傲慢である

という信条を常に持ち歩いているからではないか。

あなたと私は
お互いに異なる信念や背景を持ってますね
さあ、じゃあ話そうか、と目を見て迫られて
「絡める」だけの心の準備ができていれば
大丈夫、話し甲斐のある相手ですよ。

でね、そう考えてくると
世の中には
自分と敵しか居ない、と
驚くほど世界を単純化しちゃえるひとがいますけど
そういう人と高村薫の話が
噛みあうわけがないんすよ。

20数年目にしてようやく
作品をエンターテイメントとして吸収できるようになった
世に生きる者として
高村薫原作映画の成功を
心より祈念しております。