17.地獄の門
初出:1934年講談倶楽部
参照:朝日文庫版(9)(1981年11月、解説小林司・東山あかね)
時代設定:1865年5月
「前の年の蛤御門の一戦で、長州藩の勢力が京から失われてから」
(蛤御門の戦いは1864年)
「どこかで鶯が啼いていました。谷間で竹の葉がそよぎ、風が松山を越えて吹いていましたが、ひっそりと深い春の真昼でした」
オフィシャルに「未完・中絶」とされている作品は
「13.剣侠閃光陣」だけなのですが
畳み方がよくわかんなくなっちゃった、てへぺろ。
という作品はほかにもあって
(「21.御存知鞍馬天狗」「28.鞍馬天狗敗れず」)
でも本作の場合は
何書こうとしてたんだっけ、うふ、あれー、んとー。
という感じなので
えっ。終り?
感が逆に強く印象に残ります。
(重要な文書を運ぶ役目を負った仲間が倒されて、
その文書を引き受けた鞍馬天狗が確認のため中を見ると)
という、終盤に現れるエピソードは上述のとおり
未消化なまま終わってしまうので、前半の
(裏切りの罪を鞍馬天狗に告解することで
平穏を取り戻す若者のハッピーエンド)
というお話として本作を認めればいいんですかね。
その未成熟な若者の姿を立体的にする要素として
許嫁の老いた父が登場します。
老人のしわだらけのやせた顔を見て、病身らしく淋しそうに見える顔色なのにもかかわらず、どことなく、輝くようなものがひそんでいたのをなぜかと疑ったのでした。老人は、ほっとなにか安心を感じたように見えます。目の色も、臆病らしく、おどおどしているが、さもうれしげに見えるのです。どこの家の老人か、与一は未だに思い出せません。
天涯孤独を標榜するから、なのか
鞍馬天狗シリーズで
肉親となにかしらあるシーンは非常に稀です。
“疑似ファミリー・メンバー”としての
女房役・吉兵衛
息子役・杉作
が定着するのはまだ後年のことで
そうしたフォーマット完結以前の本作においては
上に引いたような、ずいぶんぎこちない手つきで
親愛の情が描かれるわけですが
それもあってか、妙にこの老人の姿が生々しいのです。
あー、ぎこちない・生々しいといえば
吉兵衛には決して見せられない、こんなのがあったわ。
「お帰りなさいまし」
と、外まで出て来て、背後から声をかけたのが、是枝七郎右衛門でした。
「盥が出ておりましたが?」
「や、ある、ある、暗くて見えなかったので」
鞍馬天狗は笑っていました。
「腰の物を預かっていただこう」
「かしこまりました」
きー。
私という者がありながら、ひどいわ(←吉兵衛の代理で。