編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

本屋大賞連ドラ化決定(全12話)!■の文字で妄想する物語(第1話~第4話)

本屋大賞
ついに10回という節目を迎えるのを
記念いたしまして

WEB本の雑誌
名物連載「帰ってきた炎の営業日誌」を
並べて遊んでみたん。

ここ数年
・受賞作品は必ず売れる
・映像化もされて話題になる
云々
まさかの“権威”っぽい感じになって
初期からのウォッチャーとしては
感慨深いわけですが

そうなったがゆえに、
本屋大賞叩くとウケる”
と判断する風向きなども出て来ていて

賞を育て上げた当事者各位が
イラッとしておられるであろう以上に
 おまえらうるせえ。
と一介の通りすがりである私ですら
思ったりもするわけで。

ええ、なにしろ単行本買わないんで
本屋大賞には
いかなる意味でも参加できない私。
なんですが
  それとも
  「泡坂妻夫引退公演」が
  本屋大賞に選ばれる
  パラレルワールドが
  ある、とでも?
そういう立場のウォッチャーだからこそ
見えることもあるんじゃなかろうか。

というわけで
本屋大賞」の歴史を
炎日記の引用で
ワンクール分を組み立ててみた……ら
長くなったのなんのって。

続きを読む

とあるコンビニ店長のブログの復活をお祝いする

戻ってまいりました-24時間残念営業
を紹介する
ツイートが流れてきたので

おお。

と思った私でしたが

さらにいえば
今は亡きブログについて
追悼文も書いたことがある
詠み人(行方)知れず
私ですが

べ、べつに
そんなに好きってわけぢゃ
ないんだからねっ ←合ってますか><


(ここまでのあらすじ)
・愛読していたブログが
・持ち主自身の意志で
 消されてしまいました
・ぼくと同じぐらいの愛読者は
 きっといたはずですが
・みんなgoogleのキャッシュ機能を信じているから
・いつでも読めるよね ←ゆだん
・じゃああなた、今ね
 「コンビニの店長が見た本屋の陳列」
 で検索してごらんなさい
はてブとか引っかかってくるけど
・肝心の原文に辿り着けなくない?
・根気よく探すにもノイズが多過ぎるよなあ

(じまん)
・こんなこともあろうかと
・ぼくはお気に入りエントリを
 evernoteにクリップしていたのだ!

(だがしかし)
・この作者の本籍地であろう
 某ジャンルについてまで保存する気は
 ハナからなかった
・ので、以下20エントリしか
 手元には残っておりません

なんかパチンコの話題が出てたので / 缶コーヒーについて語り倒す / 落語すげえおもしろかった / 作り手と受け手の関係の変化 / 知らないじーさんと話してた / 500パック紅茶市場における仁義なき戦い / 「ホストマガジン」がすごかった / 初心者のための自転車の知識あんまない人が書いた自転車入門 / あなたは練乳オレを知っているか / 手書きPOPの考えかた / ステーキガストと俺らの戦い / 年寄りが硬貨を持ってやってくる / 質問に対して「善意」を与える人たち / 高齢化時代のコンビニ / 売上750万円のコンビニ(核爆) / 「気づく瞳」「気づかない瞳」 / 「頭のよさ」をコンビニの現場から考える / 「樅ノ木は残った」読了 / コンビニの店長が見た本屋の陳列 / とあるコンビニの金曜日から土曜日にかけて

一応は
文章上のギミック含めて
面白いよなあ、と思ったものを
セレクトした20本なんですけど

  ええ、編集者の本能を
  称賛していただいても
  かまわなくってよ。

これ、ご本人にテキスト返したら
すなおに再掲載してもらえるもんですかねっ

あと、上記以外のテキストも
きっと需要はあると思うんですけど
どなたか! お客様の中に
他人の文章の
全文クリップが趣味の変態は
いらっしゃいませんか!

KDP祭りが楽しそうじゃまいか

Kindle Direct Publishingで
画期的だったことって
ふたつあると思っていて

これまで作品の売上っていうのは
出版社のみが把握できる情報
とされていたのが


っていうふうに
あっさり開放されちゃったことがひとつ。
もうひとつは

無料キャンペーンのように、
売値のコントロールすら
著者の恣意を反映できる、
しかも簡単にね。
ということ。

新しいよなー。

で、こうやって
「出版社ならではの既得権」が
オープン化されて崩れることは
頭の固い方々には
頭の痛いことかもしれませんが

いろんな才能が
publishing分野に参入してくることで
これまでになかった
ダイナミックな変化が
起きるかも!
そう思うとwktkするよね。

※画像は書名その他を削る程度の加工済
 US版KDPの画面キャプチャですが
 JPもどうせ近々こうなると思う
 ……どうせって言うな!

路上ライブでアンプ使うのってツイートに拡散希望って付けるのと似てない?

俺の
俺の
俺の話を聞け。

ぐらいに
正面から要請されれば
「イヤです」
ってキッパリ言えるけど
(結局5分ぐらい聞かされるんだよねえ)

君の地声がデカいから、ではなく
機械的にamplifyさせて
否応なく俺の耳に届けるって発想は
副流煙と同じぐらいには迷惑なんですが
(あと「×カードお持ちですか」モナー)
そういう感想がもはや時代遅れなことも
承知してはおります。

駅前に立ち、毎日終電まで歌い続けてきた女性が、約4年間でCD計8万枚を手売りし、1万5千人のサポーターを集めて武道館の単独公演を決めた(略)東京出身の宮崎奈穂子さん(26)は職場に出勤するように渋谷や新宿などターミナル駅近くの路上に立つ。夕方から午前0時まで週5日以上。身長ほどあるキーボードを背負い、路上から路上へ、アンプやCDなど30キロ以上の荷物をカートでひいて歩く。

   ─ 朝日新聞夕刊2012.10.27

わぁいクラウドソーシングあかりクラウドソーシング大好き

英語圏で展開している
クラウドソーシング・サービスに登録したのは
アプリ開発とか
ウェブ制作とか
ロゴデザインとか
そういうお仕事を
発注者として
お願いしたくなることがあるかも。
と思ったからだったのですが

どういうプロセスを経て受発注が成立するのか
どういうレベルの登録者がいるサイトなのか
実際どういうプロジェクトが募集されているのか
なにしろ実態をつかむには
まず自分が受注者になるのが早いでしょう。

とも思いましたので、
登録のためのオンラインテストとか
ID証明文書の送付とか
支払いのためのPayPal口座開設とか
いろいろな手続きを経て
20日ほどが過ぎました。

当初、目についたのは
グローバル時代の価格競争って
シビアやな。ということで
たとえば
英和翻訳1件5ドル、という案件に
在外日系人登録者とか
東南アジア在住の登録者とか
バンバン手が挙がるわけです。

いくら「簡単なお仕事です」とはいえ
報酬額を円換算してしまって
二の足を踏んでしまうあたりが
ぼくら日本人の国際競争力ってやつか。
なるほどな。

まあ、発注者として考えるなら
低コストで
優秀な企画に展開できる可能性もあるわけで。


とかなんとか、
だいたい想定していた範疇の感想を
持っていたわけです。

……ここまでだと
たぶんこのエントリを
書くことはなかったんですけど
つい先日
あるできごとをきっかけに
私の意識は変わりました
(それと同時に
 背が3cm伸びて
 彼女も出来ました!
 宝くじも当たって
 ウハウハです!)←当たんねーよ


案件募集に応じる形態以外にも
これと思ったひとに
クライアントから(サイト経由で)
声をかけるスタイルも
有りとされているので

インドネシアの会社から
英和翻訳お願いできないか
急な案件でギャラもこれだけしかないけど。
とお願いされたのが
そのできごと

よく考えたらこれ、社内で
「動画の編集できなくて困ってるんですー」
「PDFからトンボ消せる?」
「素読みしてもらえないかなお願い」
などと言われて

「いいっすよ」
「さんきゅー今度昼飯おごる!」
とか
そういうのと同じノリなんですよね
ギャラもだいたいそのぐらいだし。

無事納品して
会ったことも無いインドネシアのひと
(ファーストネーム見ても性別不明ww)
から猛烈に感謝されるに至って

ああ、なるほど!

クラウドソーシングの醍醐味って
スキルが国境を超えていくところに
あるんだと思っていたけど

スキルだけじゃなくて
「困ってるひとを助けることができる自分」
という
エモーションも
国境を超えられるのか。

  他部署のプロジェクトに手を貸したら
  人月を計上しないと
  原価計算があわなくなる。
  うっかり「いいっすよ」とか
  安請け合いしちゃいけない
  企業風土、って
  好きになれないんですけどね
  でもねー
  残念ながら
  そういうノリが
  出版界でも珍しくもないのよ

互いに合意したギャラで
「あーそれなら俺できるよ」
「本当? 助かるわー」
という交換/交歓が
気分よくできるっていうのは
21世紀も捨てたもんじゃないね?

うん、ただのイイ話なんで
オチはないよ!

電車遅延とウェブ媒体に校閲工程が無い話の間に共通点はあるか(←無かった

お。
と思ったことがふたつ■□ありまして
それぞれについて感想を書いていくと
どこかでそいつら■□が出会うんじゃないか。
はたして出会えるかっ?! という
つもりで書き出したんですガー。



イザというときにこそ
本質は顕れる
と昔からいうとおり、
鉄道機関(非人格)が
ふだん何を考えて
動いているのか、が
もっともわかるのは
「電車に遅延が生じた」
ときではないか、と
さいきん思ってます。


小田嶋隆(敬称略)が
コラム

私がこの誤用を見て、まず懸念したのは、記事が校閲の目を通っていないことだった。...氏の原稿は、アップしたまま校閲を経ないまま印刷所に送られたことになる。これは、思いのほか重大な話であるのかもしれない。

と、
「媒体としての週刊誌」の
劣化を示す事例として
校閲過程の不在を挙げていたのですが
(同意します)
ウェブ媒体には校閲機能が無い
というエピソードに続いて
……そうね。
……だけどさ。
と反論したくなったの。


電車が遅延すると
  ただいま○分遅れて運行しております
  お客様にはご迷惑をおかけして
  たいへん申し訳ありません
とか言うじゃないですか。
あれってたとえば

朝7時00分に出発するはずの電車が
7時20分発になっちゃってるんだ
ゴメンゴメン。
ってことですけど
7時15分の今のぼくが知りたいのは
7時20分になれば電車来るのね?
ということなんですよね。

もちろん
ダイヤ乱れの規模と
やって来る電車の混雑度は
比例しますから
「20分遅れています」は
無意味な情報ではないのですが

鉄道会社が重視するのが
ぼくら利用者であるなら
「あと5分待って」
が優先されるべきじゃ?
という気がしてならない。

「20分遅れ」という物言いは
運行ダイヤを
主人公に据えた物語において
はじめて出てくる発想ではないか。

つまり、利用者は
てっきり自分が主役だと
思ってしまっているものの
真のご主人さまは
運行ダイヤ!
なんでは説。



コンテンツを公開する
前工程としての校閲は
ウェブ媒体には無い、は
だいたい正解だと思いますが
その代わり、紙媒体に無い強みが
  出して間違ってたら訂正する
というスピード感
のはず。です。よね?

校閲が無いのよー
って嘆いたからって
無いもんは
ワケあって無いんであって
(=カネが無い)
むしろ前向きに

俺たちは校閲を
ユーザーにゆだねている、
そうさそれがソーシャルデバッグ
(キリッ

即ち
媒体にとっての第一義をどう考えるか、
コンテンツの「完成」はいつか、
etc., etc.
完成形に持っていくプロセスが
旧来型媒体と違うのは当然ですよ。
そう言い切っちゃえばいいんじゃないか。
ええ、もちろん
個人の見解なんですが。

  著者原稿の受け渡しからhtml化、
  アップロードまで
  を「担当者の仕事」と定義して
  公開後のコンテンツケアは
 「全員の仕事」
  という発想の導入とか
  誤りに気づいた人間が修正できる体制整備とか
  データのバックデートが起きないような
  情報共有とか
  これはこれで大変なんですけど
 「校閲ないから」と
  開き直ったり萎縮したり、よりは
  よっぽどいいと思わん?


鉄道会社の第一義は
俺たちには無い。
と自覚することが
ダイヤ乱れにおける
平穏な心のありように
少しは寄与するんじゃないか、
という話と


ウェブ媒体にとっての第一義を
あらためて考えることが
建設的な意見の始まりじゃね?
という話に

交錯するところがあるかと思ったら
■□
意外に交わらねーんでやんの(oi

出版における“敵”という概念について

キンドル日本上陸祭りで
なんだか気ぜわしいですが
そんななか、fladdictさん(敬称略さず)←なぜだw
が自称釣エントリ
どんなに頑張っても、出版社は電子書籍の価格を防衛できない
を上げておられて
面白く拝読しましたんで、感想の走り書き。

・本論=エントリ名にあるとおり
 「出版社は電子書籍の価格を防衛できない」
 には同意します

・ただし、という注釈付で。

・つまり「出版社」といっても一枚岩ではないし
 仮に漠然と
 出版業界全体の意志、というものが
 あったとして

・そのギョーカイ総意が
 「電子書籍の価格を防衛すること」を
 目的にしているか? というと
 それは違うと思う

クズ本だったらば問題ない。だが彼らが、一定品質以上の本を、永久につかえる広告としてバラマキはじめたらどうなるか? これが電子書籍時代における、出版社の最大のライバルになりうる。

結局のところ、出版社の最大の敵は、同業者でもAmazonでも違法コピーでもない。真に恐れるべきは、失うものもなく、利益も必要なく、面白いコンテンツを作れるプレイヤーが出版業界の外には存在する……ということだ。そして彼らには出版の慣習も、仁義も、同調圧力も意味を持たない。彼らこそが電子出版の最大の驚異だ。


たとえば某ミキティ
こういうメンタリティで動いているんだろうか。
とか想像すると
面白くてしょうがなかったのですが

・出版活動って個人の趣味嗜好の延長でしかない、
 というところからスタートしているので

・自分たちの読者が「ヨソ見すること」を
 敵視する習慣はありません

・俺のことだけを見てくれよ!
 って言ったってそりゃ無理っすよね

・というか、そもそも
 出版界の人間って
 本を読む人間であることが
 圧倒的に多いので
 自分が「ヨソ見するな」って咎められたら
 どう思うか、というぐらいの想像力は
 持ちあわせているですよ

・同じビジネス書分野で、
 同じ啓発ネタをとりあげた
 「競合書」を
 異なる版元が刊行して
 自分たちは2000円で
 よそが200円だったら?
 そんな未来が来たとして

・無茶しよるなあ、とは思うけど
 2000円という価格に根拠があるなら
 2000円で戦うしかないんですよ

・「敵」は
 外にいるんじゃない、
 内にあるんだ(キリッ

……ということはね
出版界全体が認識している(と思いたいw


ここで提議された問題の本質は
すなわち

コンテンツにとっての適正価格とはなんですか。

だと思うわけです。
ええ、変わり映えのしない持説で恐縮です。

アマゾンが本気出したら
・紙の本の新刊の価格
・電子版の価格
・紙の本の中古の価格
が並ぶんです。
というか、その日は
もうすぐそこまで来ている。

他社の書籍との並びを考える以上に

このコンテンツの売値はいくらである「べき」か

という自問自答行為の有無が
問われるようになる。

・紙の本の新刊の価格(たとえば2000円
・電子版の価格(たとえば1400円
・紙の本の中古の価格(たとえば200円

いちばん売りたい形態が
このうちの
・紙の本の新刊の価格(たとえば2000円
なのだとしたら

それ以外の形態との差分を埋めるだけの
付加価値を
どう産み出すのか。

  古くからある手法が
  著者サイン会とか
  初版限定○○付とかなんですけどね
  あと、逆転的に編み出されたのが
  電子版をほとんど紙と等価に設定して
  なんだそれなら紙買ったほうが。
  と思わせようとする姑息な(ry

繰り返しになりますが
業界の外から
価格破壊な奴らがやって来ようが来まいが
それを気にしてる場合じゃない。
ってことぐらいは
わかってますよ、なあみんな!

おやへんじがないただのしかばねのry

20年目に黄金を抱いて翔べ

高村薫原作の映像化って
宮部みゆきのそれと同様
あまり幸せな結果をもたらしていないと思うのですが
(宮部せんせについてはついにその歴史が
 ビョン・ヨンジュ版「火車」で終止符を打った
 ……ってことに
 作品未見のまま結論してみた私ですが)

そこで井筒和幸の手による
「黄金を抱いて翔べ」
ですよ。

もうすぐ公開されてしまうので
見ないうちになんか言うなら
今しかない! あわてて原作を引っ張り出してきました。
(この項なんか変ですか。そうですか。……そう?)


1990年作品とはいえ
時代に拠った記述の多い作家ではないので
そんなに古くなってないんじゃないかねー。
という予見ありつつの
何度目かの読書でしたが

映画ではじめて小説の存在を知った若者が
うっかり手にとって気になるところがあるとすれば

・携帯電話が無いってオカシクない?
・犯行予告がPC-VANってどこそれ?
・大阪の夏が格別暑いってどういうこと?

  日本全国が熱帯化してしまった21世紀の今日では
  納得しづらい最後の要素ですが
  盆地である京都の夏は、とか
  瀬戸内の凪は、とかそういう表現と同様
  ブンガク的修辞として
  20年前には成立していた気がします
  まあ作者を含めた「大阪の人間」の
  思い込みだった説も否めないけど。

このぐらいの古びた要素を気にしなければ
ふつうに読める作品かしら。どどどどうだろう?
というのが
今回あらためて気になったことで
つまり、なんだかんだ言って
決して読みやすい作品ではない、ですよね。

  「李歐」はわかりやすいと思うんで
  一部ファンのニーズにお応えしやすいのは
  むしろあっちですあっちです!
  

李歐 (講談社文庫)

李歐 (講談社文庫)

そもそも
高村薫を評するときに必ず言われる
読みづらいの正体って何なんでしょう。

文体ですか
語彙ですか
説明が往々にして過剰だからですか
情報が圧縮されて詰め込まれているぶん
読みながら解凍しないといけないからですか
……
個人的には、これらに加えて
「酔ってないひとがこっちの目をまっすぐ見て
 ガチで語ってくる」感じが
「読みづらい」というより
「絡みづらい」んじゃないか。

たしかにね、
高村薫の描く世界においては
登場人物ひとりひとりが
うるさいぐらいに(!)
それぞれの個を背負って登場してきます。

書き割り的アクション、リアクションが
徹底して排除されるのは
この作家が

 人はそれぞれ違う
 自分の基準で相手を量れると思うのは
 傲慢である

という信条を常に持ち歩いているからではないか。

あなたと私は
お互いに異なる信念や背景を持ってますね
さあ、じゃあ話そうか、と目を見て迫られて
「絡める」だけの心の準備ができていれば
大丈夫、話し甲斐のある相手ですよ。

でね、そう考えてくると
世の中には
自分と敵しか居ない、と
驚くほど世界を単純化しちゃえるひとがいますけど
そういう人と高村薫の話が
噛みあうわけがないんすよ。

20数年目にしてようやく
作品をエンターテイメントとして吸収できるようになった
世に生きる者として
高村薫原作映画の成功を
心より祈念しております。

十年一日あらめでたやな

同じようなニュースが
ほとんど十年の時をはさんできれいに並んでいることに気付いたので
これはちょっとメモっておきたい。

2012.10.17
日本出版者協議会(出版協)→アマゾンジャパン
・Amazon.Studentプログラムの
 10%ポイント還元特典の速やかな中止と
Amazon.co.jpの価格表示について
 再販対象書籍については
 「価格」ではなく「定価」と表示するよう申入れ

「10%という高率のポイントサービスが対抗上他の書店にも波及し、消耗戦となり、体力のない一般書店が倒産したり、値引きの原資が取次店、出版社に転嫁されたりして、最終的には定価の値上げにより読者が迷惑することになる」

2002.10.22
東京都書店商業組合立川支部→ヤマダ電機テックランド府中店
・ヤマダ電機が書籍雑誌を対象とするポイントカードにより
 5%還元を実施する値引行為を
 早急に中止するよう求める

「大企業が公正な競争秩序を無視して再販違反に当たる行為を行い、中小書店の経営を脅かすことは許されない」


私個人は、本は定価で売られていて
人は必ずそれを言うなりに買っている。
という幻想にしがみついていられる精神構造ってどうなん?
と思う者ですが
そこをおいても、このあたりの
「再販違反は許さない」論を口にする向きにー、
あのー、つまり、モノ申ーす(c)江頭2:50


「最終的に読者が迷惑する」とか
「中小書店の経営を脅かすことは許されない」とか
……腹わってナイよね?

本音は
俺が迷惑する」であり
俺の経営が脅かされるかも」ですよね?

ことばを飾って、なにかを隠そうとする人の
きれいなお口から出て来ることばで
ほいほい踊るほどのオヒトヨシは
さすがにもう21世紀の日本には現存しないですよ?

人を糾弾するなら
その矢が還ってきたときどうふるまうか、
そこまで考えたほうが、いいです。

there are two Ohimas in Japan (大島弓子と大島真寿美について誰も書いてないのはいかがなものか)

Yumiko Oshima, Masumi Oshima.

Ladies have the same family name, no blood connections.

Yumiko, who has been one of the prominent figure in Japan manga scene since 1970s, is like a Julian Moore meets Jodie Foster. Fame and fortune don't stop her quest for creative instinct.

Masumi, who has the bright future in the field of literary fiction, debuted in 1992 but little known until the turn of the century. Like, say... Anne Hathaway, many people ("mature readers", if I may say so) believe now that she will earn well-deserved praise in no distant future.


Before writing this, I googled and binged, found no one (come on!) had pointed these two Oshimas resemblance. My plan A before that was; admit what they have in common, and then try to distill the Masumi's essence -- thank you for imagining my disappointment.

Hoping a distiller comes later, let's get down on the resemblance of two Oshimas today. More precisely, I'd like to focus entirely on Masumi's early work "Watery Cocoon"(2002).

水の繭 (角川文庫)

水の繭 (角川文庫)


This is a luminous tribute to Yumiko's 1980's works such as "Dream Bug / Sheep Grass"(1983), "Dahlia Cincture"(1985), "Roughly Chopped Carrots"(1985) and "Sister and I; Water pillow, Feather Pillow"(1984).

All those lovely/serious pieces taught me much -- how far the manga can go, beauty of minimalism, enjoyment of solitude, who has been to the end of the earth and back won't triumph that trip, etc., etc.

 from "Watery Cocoon"
 去年の夏、父が死んだ。
 父が死ぬなんて思ってもみなかった。

 from "Watery Cocoon"
「うちの息子はこの世じゃなくて、あの世で大きくなってるんだけどね。死んじゃったから」
「え?」
「わたし、あの世のセージが時々見えるの。それはわたしの妄想なのかもしれないけれど、そうやって、わたしの妄想がつづく限り、あの子は、この世に時々来なくちゃならないみたい。解放してあげなくちゃならないのにね」



In some part, you can hear the song of Yumiko's works in the background.
(Oh, you can also SEE that!)
And in some part, needless to say, Masumi's original voice is audible/visible.

「きみがまさに実践しているそれが、すべてだよ。こっちの方がいいな、こっちの方がましだな。そうやって移動していけ。どうやらそれがきみの質らしい。それでいいんだ、それで。すばらしいじゃないか。あたし、ものすごくうれしかった。」

Masumi's girl, here, expressed "It warmed my heart."
On the other hand, a father in the "Roughly Chopped Carrots" never shows this kind of eloquence. Still, you know the aspiration very well via a daughter in the story.

They talk the same thing, from different sides.

ダリアの帯 (白泉社文庫)

ダリアの帯 (白泉社文庫)

課金の誤用は瑕瑾で済むか

広辞苑を持ち出したうえでその権威に拠ろうとするひと
(「辞書に載ってないからそんなことばはダメだ」論)
ことばはいきものだからがかりのひと
(「ことばの意味は変わるからとがめすぎるな」論)
両陣営拮抗して譲らない戦線に
いまさら身を投じる気は毛頭ないんです。

が、ツイートを追っていて
しばしば卓見にうならされるような方々までもが

販売システムは確実だけれど、本を読む人しかお金を支払わない。ニコ動みたいなのは定期課金見放題だけれど、じゃあ課金している誰もが24時間PCに張り付いているかといえば、きっとそんなこともない。定額のやりかたは、使わない人からお金が取れるのがとても大きい
https://twitter.com/medtoolz/status/251089344448839680

仮想彼氏とか仮想彼女もいいけど、孫プラスつくろーぜ。孫に、ランドセル(課金)とか、お年玉(課金)とか、誕生日プレゼント(課金)とかプレゼントするやつ。
http://twitter.com/fladdict/status/257696222746406912

と口走ってしまう状況を見ると
さすがに
「課金」ということばの魔力について
ちょっとは考えてみたい気もする。
または
ねえどうして
課金の誤用にこんなに敏感に
反応しちゃうんだルー。


とはいえ
課金以外にも「その誤用、許せん」と思う文言は
もちろんあります。

なにげに
  とんねるずが濫発してたのが
  いまの無法状態に寄与しているのだと信じていますが
  25年ずっとイライラして、いまだに慣れません

行く/来るの分別
  方言とか英語とか、解釈に揺れがある動詞ではありますが
  「ここに来る」と言うべきときに
  「ここに行く」と言いやがる我が家の小4児童に対しては
  厳格に対処する以外の選択肢が私の心には無いんですん

ツ/シの分別
  既に話し言葉カテゴリでなくなってますが
  この書き分けが出来ていない手書き原稿を
  編集者として入力するストレス!

阪神巨人戦か巨人阪神戦か
  主催球団を先にするのが唯一無二の正解で
  その知見が既に一般的でなくなっているだけのこと
  ではあるんですが、
  間違われると訂正したい欲が猛烈に出てきて
  それを口に出しても
  100%の確率で「そんな小さなこと」視される、
  というこのギャップががが。


ことばの可能性について
了見が狭いひとほど
「これはこうあるべき」と
思いがち。ですよね?


「それは××ではありません。言葉遣いが間違ってます」
「主語がない文があってわかりにくい」
「過去のことか現在のことかを明らかにするため、語尾を
 (過去のこと→●●でした。/現在のこと→●●です。)
 統一してください」


……うむ。
実例から引いてきてしまったせいで
なんだかムカムカするけど
続けよう。


私が/あなたが
「絶対」と思っているルールは
ローカル・ルールにすぎない。

「課金の誤用」を
「なにげに」を
攻撃するにせよ/擁護するにせよ
唯我独尊なスタンスはとれるものではない。
はずだ。

  な
 の

あいつらのほうが
俺たちよりデカい顔してんじゃね?
という現状が
私たちを
アグレッシブに対立させる要因ではないか。

ツとシを書き分けられない人が醸し出す
そこはかとないゴメンナサイ感は
正邪を別にしても
優劣が構築されているから
争いにはなにりくい。
しかるに(ry

うーん。やっぱりこの手の話って
手に余るなー。というのが正直なところですねえ。

電子書籍戦線に動きあり

今朝、Kindle Direct Publishing(以下KDP)で
コンテンツをパブリッシュしている
私のアカウントに対して
アマゾンUSからメールが届きまして。

っていうような話が
あまり巷に出回っていない気がするのは
なんですか、この件confidentialなんですかね?
でもメールそのものの文面は至ってシンプルで


・KDPの日本語対応を進めている
・ついては~についての協力を要請できないか
・このメールは
「過去KDPで日本語の本を出版しようと試みた方に
 連絡させていただだいております」←(/ω\) イヤン


これがなんと日本語で届いた!
(=丸2年、KDPを利用していますが初めて)
驚くと同時に
日本語ローカライズ作業は
着々と進展しているのねえ、と
楽しみがひろがりました。


ちなみに
「過去KDPで日本語の本を
 出版しようと試みた」件とはつまり
KDPで現在の出版ステイタスが
「Live」=販売中
「Draft」=下書き状態
「In Review」=審査中
「Publishing」=登録中
いずれでもなく
「Blocked」=ブロックしますた
になっている、
大胆なコンテンツを指していると思うのですが
だからって
べ、べつにイヤらしい話じゃないんだからねっ。

※現在KDPには本文を英語と日本語を併記したうえで
 申請しているのですが
 表紙にのみ英語を入れて
 本文が100%日本語の場合はどうなるかなー、
 と若かったあのころ(=2年前)に試したもの。
 しかも内容が、アメリカ人ならかなりの頻度で
 目を留めてしまう人物(←マジ
 についての論考だったのでした

※※一方Kobo Writing Life
  相変わらず楽天買収以前からの日本語ユーザーが
  アカウントを取って登録したコンテンツについては
  ノーケア状態に変化なし。
  俺アカウントなのに俺がアクセスできません、って
  なんなのー。

緊急電子化すべきコンテンツってこういうもんじゃなかろうか

今朝知ったんですが

廃校から昭和の児童書 500冊発見
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001210100002
40年以上前に廃校になった旧美方町立小南小学校熱田分校(香美町小代区)の校舎跡から、昭和30年代の学習雑誌や絵本などが大量に見つかった。整理したところ約500冊が確認された。

というニュースがあったそうですね。
こういうコンテンツこそ
緊デジ(=経済産業省による「コンテンツ緊急電子化事業」)
案件じゃないのか。


とはいえ
緊デジのウェブサイト(のタブ)を見ればわかるんですが
・出版社さまへ
・制作会社さまへ
・販売会社さまへ
と、彼らが向いている方角はきわめて限定的です。

  出版「社」であって
  出版「者」ではない、とかね
  出来上がったコンテンツを享受するはずの
  読者が関与する分野じゃないから、とかね

そりゃまあ
JEPA(日本電子出版協会)のサイトで

たとえ補助金をもらっても電子出版はやりたくない
https://sites.google.com/site/jepasite/message/tatoebuzhujinwomorattemodianzichubanhayaritakunai

って言われちゃっても不思議はない。


◇―――――――◆―――――――◇


前掲新聞記事で紹介されている
「昭和30年代の学習雑誌や絵本」の

・所有者=兵庫県美方郡香美町小代観光協会(仮)
・著作権者=学研教育出版(仮)

だとすると
所有者が著作権者に窓口を委託し

・(株)出版デジタル機構に電子書籍化を申請してもらうことで
 コンテンツをとりまわしの利く形態に変換し

・著作権者の運営する学研電子ストアに
 ストア内ストアの要領で(いや、可能かどうか知りませんよ?)
 公営電子図書館として全コンテンツを配架し
 一部有料モデルも組み込むことで
 各所経費のリクープを図る

ってぐらいが美しい気がしますが
想定される「えー。でもー」問答としては

・著者にも許諾を得ないとー
・連絡先わかんないんですよねー

ぐらいですかね。

かつて学研の「学習」誌で
大人気まんが「名探偵 荒馬宗介」を連載していた
山口太一(敬称略)から
・当時の作品は版元による買取で
・原稿も私の手元にはないんです
・以前質問したことがあるんですが、
 版元も全部の作品原稿を保管しているわけではないらしい

と伺って、電話口で
おー。のー。
と悲鳴をあげたのは私ですが

  ついでにいうと
  「もし荒馬宗介を電子書籍化するなら
   新しく書き下ろすしかないですねー」
  という会話をしていたのも
  作者が故人となってしまった今
  幻に……

「もう一度見たい!科学と学習」

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価格:1,680円(税込、送料別)

これ、逆にいえば
本当に電子化する気があるなら
とにかく版元名義で電子化しますので
作者イラストレーターデザイナー等
作品の権利に関してお問い合わせあるかたはこちらへ。
と半ば以上強引に話を進める素地が
版元にあるってことじゃないだろうか。
※もちろん学研以外の版元も含まれているので
 一概にはいえませんがね

そういう強引な進め方のボクヨケとしてこそ
緊デジという公的な機関が
意味を持つべきでは、と思うんです。